96 天草
劉備の話が盛り上がるのは、やはり当然と言うか、しかし一方の主役にしては、残されている事実が少ないのが残念ですよね。

>>95
ある程度の戦上手だったのだろうと思いますが、私はあくまでも人柄・人望論を支持します。
そういう意味で彼は廬植・公孫サン・袁紹…と知り合う人物にも、恵まれていた様な気がします。

>>94
傭兵という概念が当時あったのかは微妙ですから、今の考え方での、お金をもらって戦に参加する…というような感じではないと思いますよ。
あくまでも自分の信念において、敵と味方を区別し、戦に参加する…ここで皆さんが言っている傭兵とはそのような感じであると理解してます。
そういういくつかの義勇兵のような傭兵団の中では、群を抜いて目立っていたのかもしれませんね。

>>95
こんにちわ!初めまして♪
よろしくお願いします。

さて、ヒロサトルサンの仰る『皇叔』というのがどういう意味なのか、分かりませんが、そこまでの名声はさすがになかっただろうと思います。
劉備が全国区としてデビューするのは、私の感覚では陶謙から徐州を譲られた時(皆さんはどうでしょう?)ですから、そこまでは全く無名と考えても良いのではないでしょうか?
(PC)