1 天草

鳳雛を語り尽くす!

もちろん諸葛亮と並んで評されたホウ統子元のスレです!
(PC)
52 岳飛
>ストラップ殿
素早い反応ありがとうございます。
私は法正とホウ統を混同してはいませんよ、ただ少し書き方に不備があった感じがしますので補足を…
正史によりますと、諸葛亮が前線指揮を初めてしたのは劉備の死後、南蛮制圧戦であったと思います。それまでは、内政が主な仕事であったのではないかと考えています。よって前線に諸葛亮がいた戦いはなかったと思います。
しかしホウ統は流れ矢(流矢)で恐らくハリネズミのようになって絶命したことから、積極的に前線に出ていた、すなわち劉備から軍略の才を(少なくとも諸葛亮よりは)認められていたのでは…と考えたのです。

後劉備が中策を選んだ件については多分に私の私感が入っています…劉備は演義にかかれている程のお人好しではなかったと考えていますので中策を選んだのには何か考えがあったのでは?と思ったのでホウ統に好意的な解釈をとってしまいました。申し訳ありません。
(W31T/au)
53 ストラップ
>>52
諸葛亮よりもホウ統に軍事の才があったから、劉備はホウ統を従えて益州に入ったというのは、ホウ統の軍事の才を諸葛亮と較べて上とする根拠とはならないと思います。劉備は関羽や張飛でさえ荊州に残していますからね。これを根拠とするならば、関羽や張飛よりも黄忠が将として上だった、とも言えます。

三つの策を示した事は、ホウ統の軍事的才覚をあらわすエピソードだとは思いますが、中策で充分であった、という様な判断では無く、「」極的な案だけで無く、消極的な案をも同時に示した」という事にあるのだと思います。>>30>>40参照。
(F2102V/FOMA)
54 岳飛
あ…そうですね。関羽らも荊州に残しておいたんですね。
反論頂きありがとうございましたm(_ _)m
勉強になります。
(W31T/au)
55 天草
しかし、軍事面でホウ統が諸葛亮より上ではないか?という意見には、私は賛成です。
この時点では諸葛亮もそうですが、ホウ統の軍事的才覚は未知数だったわけですよね?
荊州に残って内政に務める役と、入蜀という大事な軍事に同行する参謀に彼ら二人を分けたのは、劉備の適材を見抜いた良い人事だったのでしょうね。
(PC)
56 朱家
孔明は、すでに内政面の実績があったと思いますし、士元は、劉璋討伐を強く主張してます。この状況では、当たり前の人事だと思います。

士元は、劉璋暗殺を拒否されたから、わざわざ優劣をつけて三策も進言したと思います。
士元はもう一つ、悩んで待機が最悪と言ってます。待機や退却を選ばないように、中策へ誘導してるように思います。優劣をつけないと、上策を選ぶ可能性は極めて低く、策として成立してない下策を進言して、中策を選びやすくしてます。
士元としては「上策を選んで欲しいが、悩まれるなら中策を」って感じだと思います。一番大事なのは即決する事で、リスクのある上策を即決できる可能性は低いと思ってたんじゃないですかね。
(W32K/au)