1 たろう

劉備という男

好評批評などありますが皆さんはどう思います?
(W21SA/au)
92 徳操
>>91
劉備が挙兵すると、東海相の昌キという人物が呼応したそうです。

また予州の各地で劉備に呼応する動きがあり、曹操は地元有力者の陳グンに慰撫させるなど、かなり各地に劉備(エン紹)シンパがいたようです。
つまり各地の反曹勢力を集結すれば、充分抵抗できると踏んで挙兵するも、うまく連繋が取れず、劉備は小ハイと下ヒを押さえる程度の兵力で曹操の本隊と当たることになり、被害が出る前に東海へ逃げて昌キと合流。

劉備に従ったエン紹シンパを回収するため、エン譚が迎えに来たという流れなんじゃないかと思います。

(CA001/au)
93 朱家
魏の史料である事を差し引くとしても、『魏書』だと、Bですね。それはそれで、関羽や夏侯博のように捕縛された可能性が高いと考えれば、恐るべき能力でしょう(笑)

劉備云々よりも、このあたりの曹操は変ですからね。本当に袁紹が動かないと、根拠なく思い込んでいたか?王忠、劉岱が劉備を潰せずパニクったか?ぐらいですかね。
正月に董承反乱を処理後、劉備討伐へ向かう、二月に袁紹が白馬を攻撃、曹操が戻るのが四月、正確ではないものの、二カ月半程度で、東端まで行って戻る曹操は凄い。逆に言えば、逃げたかどうかは別として、劉備は、組織的な戦いをしてないだろうと考えます。
(W56T/au)
94 バンビ
徳操さん朱家さんレスありがとうございます!

組織として戦う前に反曹の組織が出来なかったという事ですかね?
それじゃあ仕方がないですよね。
(W54T/au)
95 まる太郎
僕は十歳まで中国にいたんですが、向こうの人々の劉備観は時代と共にかなり変化していますよ。
辛亥革命以前は劉備と言えば「劉先主」「昭烈帝」「玄徳様」って中国の黒社会マフィアから普通の庶民まで一貫して尊称されてたのが、今では曹操のほうが人気ですよ。それでも僕みたいな劉備諸葛原理主義者は決して少なくありません。まあ曹操も嫌いではありませんが。

曹操派の正式な台頭は、20世紀になってからだと思います。急進派文豪の魯迅の「曹操は少なくとも一人の英雄である。」という一言は、多くの魯迅を奉信する知識人を曹操派に吸い寄せたのだと思います。魯迅は辛亥革命後の中国の精神的リーダーと呼ばれた人物ですからね。

まあ、時代的要素が強いですよ。

ついでですが、「Q版三国」という中国のアニメはズル賢い劉備が主人公で、めちゃくちゃなストーリーと特徴をとらえたキャラクターが面白いです。日本語版があるかわかりませんが、ぜひ見てみて下さい。
(S004/au)