1 巫俊(ふしゅん)

官渡の戦い2

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>>>13 官渡の戦い
(PC)
12 朱家
正史系の書籍で、沮授に関する事の多くは、『献帝伝』(もしくは、それを採用した箇所の『後漢書』)という、かなり信憑性が低いと思われる史書を採用しており、『三国志』本文だと、沮授の記述は少ないですからね。
(PC)
13 袁家熱愛
朱家様、お久しぶりです(笑)
ご教授ありがとうございます。そうですか…。やはり沮授は色々信憑性低いですね(笑)
官渡で袁紹に牢に入れられ時、夜空の星が南西に移動している様を見て、袁紹に烏巣奇襲の危険を進言したが、聞き入れられなかった、なんて逸話もありますが。
(912SH/SB)
14 朱家
沮授は、本文を読む限り、政治的に袁紹と対立してるとは思えないですからね。袁譚を外に出した時「禍の始まり」と言ってるけど、後の袁譚、袁尚の対立とは直結してないですし。
官渡の戦いで手段、方法の違いはあっても、牢に入れられるはずがないし、記述もないです。

田豊は南征に反対してるし(沮授の名はない)、注釈の『献帝春秋』だと、河北制圧前に許急襲を唱えているから、方向性に違いがあるし、命を賭けて、南征を止めてますからね。
(PC)
15 朱家
曹操が白馬で陽動した理由が、よく分からない。

袁紹は、凄い早さで曹操が徐州から戻ってきてしまい、自ら渡河しようとしてるのに、陽動したもんだから、渡河せずに軍を集結させた訳で、『献帝伝』だと、袁紹は延津に移動しており、ここから渡河したと思われます。
于禁が、延津で踏ん張ってたのだから、ここを無視して渡河しようとした袁紹は、意味不明なんだけど、陽動してくれたから、白馬と延津の両方から渡河可能になった訳です。

白馬の指揮官は、郭図か淳于瓊だと思うけど、曹操は奇襲によって壊滅を狙い、白馬と延津で黄河を守ろうとして、白馬は救出したものの、顔良しか討ち取れず、押し返されてしまい、大失敗って感じだろうか?う〜ん、もの凄いリスキーなんだけど(笑)
一応、兵力不足で引き込むってのもあるけど、その後、曹操は袁紹に付き合って広域に対峙してるから、それはないし…
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