1 しす

趙雲について その2

>>>45の続きです。
さすがに人気者だけありますね以後こちらでよろしくお願いします。
(PC)
65 朱家
私も、趙雲の武勲が劣るだろうと、前述してますので、武勲を趙雲の実力(才能)と位置付けるのであれば、異論はありません。


趙雲は東征時、江州を取り締まっており、最高で行中護軍、最低でも護軍は持ってると考えます。
劉備と離れる訳だから、昇進しそうなんだけど、許靖の領鎮軍将軍が個人の伝にない事を考えると、趙雲も領(行)征南将軍の可能性があるかな。とりあえず、後主即位で、いきなり中護軍は不自然だと思います。

督や護軍は、研究者のライフワークなので、興味はないですが(笑)、私の知る限り、蜀は基本的に意味不明だと…東征時に領軍が見られ、劉備時代の護軍は、黄権、呉懿しか記述がなく、護軍系?が四人しかいない。

劉備時代は特に、官位すらはっきりしてないと考えていて、趙雲は武勲が劣り、将軍号が高くなくい(黄忠、魏延より)のは、間違いないし、護軍の位置付けが不明ですが、中軍の護軍を持ってるとしたら、劉備の評価はどうなんだろう?
(PC)
66 朱家
>>65
ちょっと酷い(笑)
孔明時代のように、中前後左右護軍と護軍、六護軍あった根拠もなく、蜀平定後に護軍となってる前提で、東征時であれば、領軍(護軍の上)がいて、何の意味もない。むしろ、東征に反対したとはいえ、領軍がいる事に注目すべき、蜀平定後に護軍である根拠が、呉懿が護軍だから、趙雲もだろうとか、趙雲だからといった酷いもの。
スルーして下さい。


客観的だと思っても、なんだかんだで、趙雲に好意的なんだね。別に好きではないんだけど(笑)

私自身、『趙雲別伝』の漢中戦のように、武勲が小さくても、内容はどうあれ、曹操を止めた事は才能を感じるし、呉で問題となってるように、踏み止まった事と、援軍として敵を撃破した事の評価の違いなどもあり、官位(将軍号)など、間接的な有能かどうかの判断はしないのだけど、これは考え方の違いでしょうね。
(PC)
67 諏訪
>>41で述べたように、私は『趙雲別伝』の内容自体を信用していません。
考え方の違いというのであれば、記述をどこまで信用するかという点でしょうね。
才能を判断できる記述なんてほとんどないから官位を重視するというのが私の考えなわけで、信頼できる詳細な記録があれば、私の評価の仕方も変わります。

私は趙雲が嫌いではないのだけれど、過大評価されていると感じるので、どうしても厳しめになってしまいますが。
(W51S/au)
68 朱家
正直なところ、蜀漢を歴史で考えると、劉禅を保護した趙雲は、誰よりも飛び抜けた功績だと思うんですよ。陳寿は劉備を知らないし、記録を整理しても、あの程度ですから。

陳寿が、劉禅を馬鹿にしてるはずはないから、第三者のフリをして(笑)、関羽らと同じ伝にしたと思うけど、逆に、第三者だという事を、拠り所に評価もされちゃうんですよね。
(PC)