1 リストカッター武藤◆sFA5

スイーツ【セカイの中心で愛を鮭ぶ】

齢8歳の娘が倒れた。
病院に救急車で運び込まれた。すぐに手術をしなければ命が危ういという。出張中の主人に何度電話をかけても通じない。
娘の手を握って懇願するように見つめる。
娘は苦しい息の下で言う。「お母さん。私の鮭とばちゃんに会わせて」「鮭とばちゃん?」「そう。鮭とばちゃんのパワーで守ってもらうの」鮭とばちゃんとは娘の鮭である。手のひらに収まるくらいの小さなもので、娘の部屋の机の上に置いてある。
草津のロザリオスランドに行った時、なんとなく買っては来たものの、普段はほったらかしで世話をするものもいなかった。ところが先日テレビで『驚異鮭パワー』というのを見てから、娘はいきなりその鮭に鮭とばちゃんという愛称をつけて可愛がり始めた。「鮭は人の感情がわかるのよ」「鮭には不思議な癒しのパワーがあるのよ」
「お願い。鮭とばちゃんがいれば私がんばれる気がするの」娘の眼にきらりと光るものがある。
「解った。お母さん急いで鮭とばちゃんを連れてくるわ」
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【豚子宅】玄関には鍵がかかっていなかった。
でも、出かけるときは動転していたし、きっとかけていなかったのだろう。靴を蹴飛ばしつつ脱ぎ捨て家に上がる。足元で飼い猫のヌコパンチが、ウギャっと叫び声をあげた。どうやら擦り寄ってきたところを、ついうっかり蹴飛ばしてしまったようだ。可哀想だがかまってはいられない。娘の部屋は2階だ。階段を上ろうとしたとたん、覆面の男(世紀末救世主のような格好だ)とばったり会ってしまった。男は財布、手提げ金庫、結婚記念日にもらったダイヤのネックレス。そして主人の時計を、片腕に抱え込んでいた。もう片方の手にあるのは、私がテレビショッピングで買った穴あき万能包丁だ。どうやら空き巣らしい。この忙しいときに!私は猛烈に腹が立った。「死にたくなかったら、おとなし・・・」
男に最後まで言わせず、私は踵を蹴り上げた。私は美容の為『奥様バレエ』を毎週市民会館で習っているのだ。
欠かさないストレッチのおかげで、太ももは180度開脚できる。ビリリッ!と大きな音を立ててスカートが破けたが、かまわず私はそのまま旋回し、ジュテで飛び上がりアラベスク、続けてアチュチュードのポーズで男の股間に止めを刺した。「ふんっ!」
だらしなく白目を剥いて倒れた男を踏みつけ、私は階段を上った。
その時ジャリッッと音がしたのは、どうやら主人の命の次に大事なロレックスの時計を踏みつけた音らしかったが、私は振り向きもしなかった。
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「ああ・・・なんてこと・・・」
上がっていった娘の部屋の中。私はへたり込んだ。娘の部屋も空き巣に荒されて、あちこちの引き出しは開けっ放し、まだ幼い下着まで放り出してあったが、私が嘆くのはひたすら鮭とばちゃんの姿にだった。サーモンピンクだった鮭とばちゃんは赤茶色に変色し、触った私の手に残ってすぽっと抜けた。どうやら娘は鮭とばちゃんに、毎日せっせとビールを上げていたらしい。
ほとんど省みられず、日の当たる机の隅に置かれた水槽にいたときは、生き生きとしていた鮭とばちゃんは、娘の勘違いの愛情の前にもろくも腐ってしまっていた。私はしばし呆然としていたが、こんな鮭とばちゃんを娘に見せられない。
でも、病院で苦しみながらも娘は、私が戻ってくるのを待っているのだ。
こうなったら、鮭とばちゃんそっくりの身代わりを探すしかない!
5 リストカッター武藤◆sFA5
商店街にある魚屋さんまで自転車で10分ほど。
私は自転車を腰を上げたまま猛スピードでこぎはじめた。ところが自転車がやけに重い。商店街に行くまではゆるい坂がずっと続いているのだが、その坂を自転車はふらふらと登っていった。ちっと私は舌打ちした。パンクだ。そのまま必死でこいでいたが、空気はますます抜けて、自転車はますます重くなった。私は道ばたに自転車を投げ捨てた。私は再び走り始めた。そして、100メートル9秒台のスピードで商店街の魚屋【屯屯亭】に着くと、私は再び呆然とした。

 『本日休業』
閉まったシャッターと張り紙が無常に私を締め出していた。
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私はすばやく考えた。
デパ地下なんかにも鮭って置いてあるわね。幸い魚屋の隣は赤いカードの便意デパートだ。
私は便意に飛び込みエレベーターで7階に向かおうとした。だが、エレベーターのドアが開くとそこは人でいっぱいだった。でもまだ乗れる。
私が乗り込もうとすると、後ろから
「入れてください」という声と共にベビーカーにドンと押された。ちょうど押された位置が膝の裏だったので、私は膝カックン状態になった。その隙にベビーカーを押した女はさっさとエレベーターに乗り込んでしまった。とたんにエレベーターのドアが閉じる。
私はもうひとつあるエレベーターの階数を確認した。『13階』
不吉な数字が、私のいる1階にたどり着くまでの時間の長さを暗示していた。
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私はエスカレーターを使うことにした。動いているエスカレーターを2段飛びにしながら一気に7階を目指す。途中で2人仲良く並んでいるカップルがいたので、邪魔な女を突き飛ばした。ずんぐりした低いヒールを履いた彼女(太海と書いたシャツを着ている)はあっと言う声と共に倒れたが、どうせ彼氏が役得とばかり助けるだろう。ようやくエスカレーターを降りたところで近所の此処論さんに会った。此処論さんは目をまるくして私を見た。「あら、豚子さん・・・いったいどうなさったの?」此処論さんは、私の乱れてぼさぼさの髪や血走った眼、びりびりに破けたスカートを見て息を呑んだ。私はぜいぜいと息も絶え絶えに言った。
「し、鮭を買いに・・・」
此処論さんはますます目を見開いた。「あの・・・確かりえちゃんが救急車で病院に運ばれたんじゃ?」「そのために鮭が要るのよ!」私の目からは滝のように涙が流れた。
此処論さんがどこか気味悪そうに、「お大事に・・・」と言ったが、私はかまわずそそくさと背中を向けた。
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食料雑貨のコーナーはしゃれたリビングのディスプレイの隣にあった。そして確かに鮭とばちゃんと同じ小さなサイズの鮭たちが並んでいた。
私は鮭とばちゃんと同じ形の鮭を必死で探した。が、ない・・・いろんな形の鮭がそこには並んでいるのに、鮭とばちゃん特有のまん丸な形、緑色っぽいジャンパーを着たファビョった鮭はひとつもない。私はグルグルと絶望的に周りを見渡した。 あった!こんなところに!鮭とばちゃんとまさしく同じ鮭がそこにあった。しゃれた水槽の中に!私は周りを見渡したが、売り子の姿は見えなかった。私はそばにあったイタリア製の椅子を振り上げて水槽のガラスを叩き割った。そしてやっとその鮭を手にすることが出来たのだ。
9 リストカッター武藤◆sFA5
ところが鮭を掴んだ手をさらに掴んだ頑丈な手があった。「お客さん困ります。ちょっと向こうでお話しましょう」ガードマンらしい制服を着た若い男だった。「この鮭おいくらですか?」私がそう尋ねたのに、男は私から無理やり鮭を取り上げようとした。「これは商品じゃないんですよ。それよりこんな事をされちゃ困ります」私は鮭をとられまいと下から男めがけて真空波動拳をかまし叫んだ。「む、娘が病気で、し、死にそうで、し、鮭を欲しがっているんです!」騒いでいるともう一人年配のガードマン(ネームプレートに【Q】と書いてある。変態に違いない)が来た。
「いいから離して上げなさい」若い男は痛そうにあごをさすりながら、でもとか、強暴だとか言っていたけど、しぶしぶ私から手を離した。
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「いくら急いでいるからって、暴力はいけないよ。事情があるようだから話によっては力になるよ」年配のガードマンの言葉に私はわあわあ泣きながら事の次第を話した。
ガードマン達はおとなしく私の話を聞いていたが、聞き終わるとお互い顔を見合わせた。「気持ちはわかるし、その鮭は予備もあるから譲れない事もないけど・・・それ、本物じゃないんだ」私は愕然として手にあった鮭を見た。確かにビニール製の鮭だ。触ると「ヌルポムスメハナシガアル」と電子音がした
「病院に一度戻ってあげた方が・・・」そんな声も聞こえたけど、私の耳には意味を成さなかった。
私はふらふらと立ち上がった。それから猛ダッシュで駆け出した。
後ろから待てとか止まれとか言う声が聞こえたが無視をした。早く、早く鮭を見つけなくてはいけない。
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それからずっと私はスキルシティ中を鮭を探してさまよっている。娘のいる病院と同じ町なのにまだ娘のところには戻れないでいる。娘は無事だろうか・・・考えると涙が溢れてくるが、へこたれてはいられない。私が命がけでがんばっている限り、娘もがんばって待ち続けていることだろう。

end・No.8 『鮭空』
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この小説のハッピーエンドは省略されました。
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