評伝ザッヘル=マゾッホ


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  【No.16 Res.0】

その21


1 Name 鈴木♂
 
ワンダとアルマンはパリへ行った。
アルマンは「ドイツあれこれ」みたいな本を書き注目され、「フィガロ」誌の
編集者の職を得た。

1886年、ワンダとアルマンはレオポルトをパリへ招待した。
妻を寝取ったレオポルトに詫びを言うためでも、かつての師匠をねぎらうためでも
ないことは明白。アルマンの目的はただ一つ、東欧の著名な作家マゾッホと知人で
あることをアピールしてパリ文壇にコネを作ろうという野心だけだ。
そんなことがわかっていて、何故レオポルトはホイホイとパリまで出掛けて
行ったのか。理由は一つしかない。ワンダへの未練からだ。
よりを戻そうというのは無理でも、一目ワンダに会いたい。一鞭打たれたかった
のかもしれないけど(そこまではわからない)。

レオポルトはパリ文壇の人々から歓迎された。
アルマンとワンダは連日レオポルトに超過密スケジュールを課した。
講演会やパーティや、文壇や政界の大物との面談など、レオポルトはあちらこちらに
引き回され、ほとほと疲れてしまった。
ある文壇の大物はレオポルトに「このままパリに住んで著作を続けられてはいかが
でしょうか、私が後援しますよ」と言った。しかし、レオポルトは断わった。
レオポルトは悟った。もうワンダとよりが戻ることはないということ。
そしてもう一つ。パリという極めてヨーロッパ的な文化の中心でのレオポルトは、
東欧の珍しいエキゾチックな作家でしかないことを。歓迎されて重宝されるのは、
たまに見る珍しいものだからで、このままパリにいてもパリ文壇の主役には
なれないことを悟ったのだ。

はたしてそうなのかはわからんが、レオポルトの中にはそれまでもヨーロッパ文化
への劣等感みたいなものがあったのではないか。
ヨーロッパは優れていて、自分は所詮東欧の田舎作家だと。でも自分だけは違うぞ。
ヨーロッパ文化なんかには負けるものか、と思ってがんばってきた。
いや、女性に鞭で打たれるように、ヨーロッパ文化に「このイナカモノめ」と
鞭打たれるかのような被虐の喜びがどっかにあった??? 
実際にパリに来てみて、レオポルトはそれをふっきった。
レオポルトはパリを去り、以後ヨーロッパ文化と積極的に関わることを避ける。
東欧の一田舎作家として生きる決意をした。
 
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  【No.15 Res.0】

その22


1 Name 鈴木♂
 
さてその後、ワンダとアルマンはどうなったのか。
アルマンはドイツ語の出来るジャーナリストとして「フィガロ」誌を足掛かりに
注目されてゆく。東欧のあることないことを書き、フランスとドイツの政治的な
ところにまで大きく関わってゆく。
一方のワンダは、パリのアパートで独りポツンといた。アルマンは金満家の息子で
国際ジャーナリストとして活躍しているはずなのに、ほとんど金をくれなかった。
食べるものすらままならず、言葉も通じず、友達もいない。経済的にも精神的にも
辛かったワンダのやることは、せいぜいがレオポルトに、金の無心と嫌がらせの手紙
を書くくらいしかなかった。

やがて、アルマンは当局に逮捕された。金満家も嘘なら、フランス人も嘘。
アルマンはユダヤ人だった。

東欧に帰ったレオポルトは、フランクフルト近郊にあるリントハイム村に、
その昔代官所だったという小城を買い、終の棲家とした。
ここでフルダとの生活と、東欧の一作家としての執筆活動で晩年を過ごした。
晩年の大きな仕事としては、長編歴史小説「カインの遺産」などがある。
村ではドイツ人とユダヤ人が何かと対立していたが、レオポルトはこれを調停し、
人民文化協会というのを作った。ここでは図書館設立の募金活動をしたり、
文化講演をしたり。また有志を募って素人劇団を作った。レオポルト演出の
コメディやラブストーリーを上演したりもした。

レオポルトはワンダに離婚を求めたが、ワンダは応じなかった。ワンダが離婚に
応じない理由は一つ、レオポルトが死んだのちの遺産相続権だ。
「頂上」で負債を負い財産なんてないレオポルトだが、ヨーロッパ中で翻訳されて
いる著作の印税などは決してはした金ではない。
離婚が成立しないので、レオポルトはフルダと結婚が出来ない。というか、
カトリック教徒のレオポルトには再婚は許されなかった。
ここにもヨーロッパの常識がレオポルトの人生の邪魔をしていた。
 
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  【No.14 Res.0】

その23


1 Name 鈴木♂
 
ワンダは度々金の無心や嫌がらせの手紙を寄越した。時には、日記や手紙や、
それこそ奴隷契約書を公開すると脅迫したりもしてきた。「頂上」の編集長なら
スキャンダルは厳禁だが、いまや一田舎の作家でしかないレオポルトにとって
スキャンダルなんか痛くも痒くもない。ワンダにはそれがわかっていなかった。
レオポルトはワンダと関わるのが馬鹿馬鹿しかった。
ワンダの手紙に返事を書いたり訴訟に応じて役所に出掛ける時間すら惜しかった。
そんなことで、フルダとの生活や、執筆活動や、仲間たちとの演劇活動の時間を
妨げられたくなかった。

1895年、レオポルトは愛するフルダや、二人の間に出来た子供たち、村の仲間たち
に囲まれながら、静かにこの世を去った。レオポルトがフルダに言った最後の言葉は
「私を愛して欲しい」であったと言われている。
享年59歳。当時としてみれば、そんなに短い生涯ではない。

この年のはじめ、マゾッホ一家の元へおかしな手紙が舞い込む。
オーストリアの金満家の未亡人の代理人だという男からの手紙で、未亡人が
夫の残した財産を、オーストリアの偉大な作家なのに経済的には不遇なレオポルト
に寄贈しようと言うのだ。実はこれはワンダの悪意に満ちた悪戯だったようだ。
悪戯はエスカレートし、代理人の男はフルダの写真が欲しいなどと言って来て、
フルダはあやうく、毛皮を着て鞭を手にした夫のために撮影した写真を送りそうに
もなったが、ようやくそこらへんでこれが悪戯だと気付きことなきを得た。
まったく最後の最後まで、何をやっているんだか。
 
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  【No.13 Res.0】

最終節


1 Name 鈴木♂
 
さて、レオポルトが死ぬ10年前の話。
1986年、精神科の教授クラフト・エビングが「性の心理学」という著作を著した。
この中で、、愛する女性に肉体的、精神的、道徳的苦痛を与えられることを
喜びとする倒錯的な行為を病理学的に彼の愛読書でもあった「毛皮を着たビーナス」
の著者、マゾッホにちなみ「マゾヒズム」と呼ぶことになった。
これはレオポルトにはいい迷惑だ。自分の名前が病気にさせられちゃった。
しかものちに、「マゾヒズム」はただの専門医学用語でなく、いかがわしい病的な
倒錯という意味、ようは「変態性愛」として、広く一般的に使われるように
なっちゃった。
ガリチアのコレラと戦い多くの人たちを救った人格者の祖父が、なんとか残したい
と願った「マゾッホ」の家名が、「変態性愛」の呼び名となってしまったのだから、
爺さん墓石の下で泣くに泣けない思いだろう。
いや、当のレオポルトはどう思ったんだろう。一田舎の作家とはいえ自分の名前を
病気にされちゃった。というか「毛皮を着たビーナス」を実践していたレオポルト
の性行動をクラフト・エビングは「病気だ」と言ったのである。
一人喜んだのは、ワンダくらいだろう。

レオポルトが記した一連の行為は、鞭だとか奴隷だとか靴にキスだとか、字面だけ
とると「変態?」という思いはしなくはないけれど、よくよく考えてみるに、
世界には色々な性文化があるわけです。欧米や日本は一夫一婦制だけど、
一夫多妻の所もあれば多夫一妻、多夫多妻の国もある。それだけとったって、
一夫一妻でない国は全部病気だとは言えないでしょう。もっと言えば、
刺身を食べる日本人は欧米人から見たら、変態?
レオポルトが記してきたことは、幼い頃に乳母に聞かされたスラブの昔話や、
習慣や価値観が根本になっており、そこに彼なりの妄想や願望が加わった。
それをヨーロッパの価値観で、病気と言っていいんだろうか。
精神医学のことはよくわからんです。でも、なんか違う気もする。
当時のヨーロッパの人たちがどんな風にマゾッホ作品を読んだのか。変態の世界や
東欧のエキゾチックな世界をちょっとのぞいてみた気分になったのか、あるいは
混沌とした不安と希望に満ちた19世紀後半という時代に、マゾッホの著作の中に
共感する何かを見たのか、おおいに興味を惹く題材だ。


              この項と転載記事はここで終わりです:鈴木♂
 
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