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【No.27 Res.0】 その10 1 鈴木♂ グラーツの町で、「毛皮を着たビーナス」を熱心に読みふける一人の女がいた。 本名を、ラウラ・アンゲリカという、無教養なお針子の27歳の女だ。 ラウラの父は下級官吏だったが、生活にだらしなく、いつも貧乏で、貧乏生活に 疲れて母子を捨てて出奔した。ラウラはお針子として、生活をしてゆかねば ならなかった。 体の弱い母親と二人暮らしで借家住まい。ラウラの唯一の楽しみは貸本屋で借りて くる通俗小説を読むことと、上流階級の生活を妄想することだけだ。 かつて、ラウラはレオポルトの姿を見たことがあった。彼が警察署長の息子で 新進作家としてデビューしたのだという話を聞き、おおいに憧れを持った。 彼のような男の妻になれたら。しかし、貧しいお針子女には叶わぬ夢だった。
しかし、今、ラウラの読んでいる一冊の本‥‥、「毛皮を着たビーナス」。 この本がラウラの妄想を現実のものとする。 ラウラの野心はメラメラと燃え上がり、そして、彼女は行動を起こす。
レオポルトはエミリーと名乗る貴族の人妻と文通をはじめた。 エミリーは夫とベッドをともにすることを拒んでいるだとか、女が男を惑わす時 には貴殿の考えも及ばぬことをするものですだとか、いつの日か貴殿を私の前に 跪かせてみたい、そんなことを度々書いて寄こし、レオポルトを歓喜させていた。 エミリーの正体はお針子のラウラだった。 手紙では、名前や職業、容姿まではわからない。現代のネット恋愛みたいなものだ。 レオポルトは勝手に自分の中でエミリーを想像し妄想し、ようはラウラにすっかり 騙されてしまったわけだ。
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