1 しす

名誉回復!于禁スレ

魏の五将軍にして、紛れもなく名将でありながら、最後に経歴に泥を塗ってしまったがために不当に低く評価されがちな于禁について語りましょう。
(PC)
2 しす
とりあえずこの人のイメージは頑固一徹って感じでしょうか。
それに比して融通が利かない印象もありますよね。
昌キの件では裴松之にボロクソに言われてますし。
一方で関羽に降ったことで虞翻に罵倒されたり、曹丕から陰湿な虐めを受けたり、彼の取った行動はそこまで酷いものなのか?と疑問に思います。
(PC)
3 無問題
某所で虞翻スレを立てたらこの人の話がでてきました。いわゆる悪い人ではないんですが、頭が固くて融通がきかない人のようですね?職場にこの人と似たようなタイプの人がいるもので…f^_^;あそこで降ったのは仕方ないよいに思えますが…。
(EZ)
4 魔亜沈
お久です、あそこで降るのはしかたないと思うのですが、ホウ悳が斬首されてるので、ついつい比べられちゃうんじゃないでしょうか?
(N901iC/FOMA)
5 朱家
鳳悳との比較が大きいですよね。
ここから不適切の場合、削除お願いします。私は鳳悳が断トツで嫌いです。見事な最後に見えるが、啖呵きって降伏したら、子は死ぬし、評価すべきは覚悟して出陣した事だが、ここで啖呵きらないと、その後も疑われたでしょうし、追い詰められての事でしょ。五年経って官職は上がらず、信頼すら得てない彼の将としての資質を疑う。降伏の選択肢がないから斬られただけ。その覚悟のせいで、子は変な仇討ちするし、馬超に同行しなかったのも気にいらないし、見限ったなら曹操に降伏するなよ、それなら逃げずに最初に降れって感じ。
馬超を裏切ったし、兄はいるが、降伏しても殺されると考えたかもしれない。こんなの忠義ではない。もし相手が呉なら降ったかもしれない。関羽と名将于禁の付加価値によって過大評価されてるにすぎない。于禁と比べるに値しない将だと思う。偏見はあるが、無理な解釈はしてないつもりです。長文失礼しました。
(A1304T/au)
6 DJ SEIETSU
このスレッドに則して于禁の名誉回復に一役買っているのは、蒼天航路第34巻の様な于禁の描き方ではないでしょうか?
関公との比較に焦点を置いていますよね?
しかし、ホウ悳の意も又、公との比較によって志を欠く事無く描いている…
魏中心の漫画故、いた仕方ないですが…
論に焦点を置くと、正否とはまた別の個々の思いの見える三国志が見えて来ますよね?
このサイトあってこそですね(^_^)
(W31SA/au)
7
 于禁は、虞翻を賞賛したと言われますよね。たぶん、面と向かって于禁を罵倒し続けたのはこの人だけでしょう。単純に嫌いだったのかも知れませんが、虞翻程の人ですし何らかの意図があったのかも知れませんね。曹丕なんかに比べると虞翻には優しさすら感じられます。
 と、于禁じゃなくて虞翻の弁護になってますね。


 于禁は、曹操が出陣する時は必ず呼ばれたと言うし、王朗も高く評価しています。厳格に過ぎる所はありますが、略奪を許さないのは良将としてあるべき姿です。
 小さな負けは知りませんが、樊城の戦いで負けたのが唯一の大きな負けでしょう。しかも天災に由る所が大きい。逃げれればまた、状況が変わったのでしょうが、運が無かったとしか言えませんね。
(P900i/FOMA)
8 風太
逃げかえっていたらもっと酷い評価をされそうな気がするのは僕だけでしょうか?
(W22SA/au)
9 風太
「ホウトクは屈せず斬られたのに貴様だけ樊城を見捨てて逃げ帰るとは何事だ!」とか言われて。
(W22SA/au)
10 くわぁまん
だから真っ直ぐ魏に帰れなかったのでしょ…(笑)

于禁将軍は頑固一徹と言うよりは根っからの職業軍人だったと思います。
彼にもう少し商才、先見の明が有ればと悔やまれますね…(涙)
(F901iC/FOMA)
11
 私の言う逃げるとは、態勢を建て直せる間を稼ぐ逃げでして、そのまま逃げるという意味ではありません。洪水と言うのが、彼の進退を狭めたのでしょう。足場に窮さなければ、軍も保てたでしょうし瓦解して降伏に追い込まれるほど包囲されることも無かったはずです。
 ホウ徳も、あの状況でなければあそこまで華々しい結末にはならなかったでしょうね。
(P900i/FOMA)
12 天草
いいスレですね♪

私も于禁好きですよ。
初心者の方の為になぜ于禁の名声が低いのか?
参考にどうぞ

于禁1
于禁2
(PC)
13 しす
>>9
残念ながら逃げ帰れば酷評されるから降伏したというのであれば、于禁という人物は名将とは程遠い人物になっていまいます。
これは現代社会でも同じですが、戦に負けぬことも大事ですが、負けてしまった戦にどう対処するかも名将の条件ではないでしょうか?
私は彼が降伏した経緯に関しては>>11の李殿の意見とも弱冠被りますが、洪水によって高台へと逃れ、防戦も儘ならぬどころか逃走経路も確保できず、「降伏」or「死」の二択を迫られた結果と考えています。

彼の融通の利かなさに関しても>>7の意見を見れば強ち間違った方向性ではないのでしょうね。
まぁ、兵にとってはストレス溜まったでしょうし、あまり人気はなかったようですが。
ただ「詞」という不名誉極まりない諡を与えられ、裴松之からは「死して悪諡を贈られても当然だ」となどと言われるくらいだから、問題はあったのでしょうが。

ただこれらの欠点を補って余りある才を彼は持っていたということなんでしょうね。
(PC)
14 朱家
私は逆に、同じ伝の将と比べて、優れたものがなかったと思いますよ。古いのは楽進らしいが(記述がない)于禁とは最初が違うので、出世のスピードは一番遅い。
野球でいえば、1番楽進、2番于禁、3番徐晃、4番張遼、5番張コウ…ふと気付けば20年もここにいた。出来そうで一番難しい。3〜5番は日替わりだろうし、1番は怪我で離脱しそう(笑)于禁だけが不動みたいな感じ。
喩えが微妙だが、同格ですよ。降伏したのも人間らしくて好きなんですよ。将の手本とすべきは于禁なんです。他の将は真似ようとしても無理ですから。
(A1304T/au)
15 天草
いやいや皆さん面白い見方をしてますね。

特に>>14の朱家サンの野球の例えには妙に納得させられましたよw

もし、于禁が自分の保身ではなく、自分の兵の命を守るために降伏した…なんてことが残っていたら間違いなく裴松之も誉めてたのに。
(PC)
16 赤龍
降将の汚名をあえて受けてでも、生き延びて主君の為に働く場を求める。これも立派な忠義の道と私は思ってます。本当の名将は軽軽しく死を選ばない。

于禁の降服も、私はそうした意味でとりたいです。歴戦の将でもある曹操ならばその意を汲むことができただろうが、2代目の曹丕にはそこまでの器量はなかった。
なんてことを考えたりします。小説的な想像の域に入ってしまいますが。
(PC)
17 くわぁまん
ん…!?考え方の相違かなぁ…。

関羽も所謂降将になる訳ですよね…(汗)

劉備夫人を保護する立場上仕方なかったとは言え、それ以後関羽が一線を退く存在に感じるのはアッシだけかな?
(F901iC/FOMA)
18 しす
私も>>16の赤龍殿と同じ考えですね。
黄権のように敵に降っても、名声が衰えるどころか逆に美談んいなっちゃってる人もいますよね。
于禁の場合も曹操が存命ならば、あるいは美談として語られていたのかも?と想像したりもします。
降った相手の関羽がとっとと殺されてしまったこともこの人の不幸の一つかもという気がします。

>>17
完全に話が横道に逸れています。
関羽の話題は>>99でお願いします。
(PC)
19 しす
間違え>>>99でした。
(PC)
20 くわぁまん
いぇいぇ…、脱線してはおりません。

何故、于禁と関羽は後世での評価が違うのか?

同じ降参将なのに何故なのかと言う事です。
(F901iC/FOMA)
>>20
ならばその旨を書かなければ解らないでしょ。
あなたのレスは往々にして主旨が解りづらいです。
もっと明確に書いてください。
(PC)
22 ぺろ
初めまして!ぺろと申し上げます!くわぁまんさんの意見ですがやはり演義によるギとショクの立場も関係してるのでは?と思います!あとしすさんも少し頭が固すぎでは、言いたいことは分かりますけどすぐに横やりを入れると初心者なんか(俺みたいな)が非常に参加しにくくなります。
(W21H/au)
23 ストラップ
>>18
僕も>>16のご意見には納得しますが……曹操は存命で、「三十年来の付き合いだったのに(涙)」とがっかりしていますよ。
(F2102V/FOMA)
24 しす
>>23
曹操、確かにガッカリしてるんですけど、帰ってくる時には暖かく迎えてくれる人じゃないかな?という気がするんですよね。
少なくとも曹丕みたいに厭らしい陰湿な虐めはしないでしょうし。

>べろさん
初めまして。
不快な思いをさせて申し訳ないです。
彼は「最古参なんだから、しっかりしてよ」という思いもありましたので。
いずれにせよ、陳謝いたします。
(PC)
25 赤龍
>>23
私もその事は知ってますよ。それでも、しすさんと同様に、私も戻ってきた時にはその意を汲んでくれるのではないかと思って書きました。三十年来のつきあいだからこそ。あくまで「小説的な」推測と書いたように。
少なくとも、潔く散るだけが武人の生き様では無い、ということを言いたかったのです。
(PC)
26 ぺろ
こんにちは!しすさん返事ありがとうございますm(_ _)m干禁、当時の武将はどう生きるかよりどう死ぬかを求められた存在として、その価値観で経歴に泥を塗った彼もまた悲しき名将ですね。
(W21H/au)
27 朱家
叛乱しても許すような曹操と比べては…曹丕とでは于禁の評価も大きく違うでしょうし、皇帝らしくないですけど、この時は太子とはいえ、臣下ですからね。
劉邦が功臣を殺した事は小さいとは思いませんが、季布や鍾離昧を殺すために躍起なったのは、かなり小さい。同じような感じかなと…ちなみにこの時、季布を助けたのが朱家ですね。
話がズレましたが、退くも進むも困難な状況では、降伏か、自害して兵を助けるかの2択です。君主を守るためなら別ですがね。
(A1304T/au)
28 天草
話を蒸し返すようで悪いですが、関羽と于禁を比べて、なぜ評価が違うのか?という意見にも惹かれてしまいます。

確かに関羽も降伏しましたが、于禁のようにその事について強烈に非難される事もなく、むしろ演義では美談になってます。

この手の意見としてはお約束である、陳寿が書いたご時勢のせいもあるのかな?
だとしたら、やっぱり于禁はかわいそうですよね。
(PC)
29 魔亜沈
そーいえば演義では于禁は泣いて命乞いをしたんじゃないでしたっけ?想像なんですけど魏サイドにはそーゆー感じで伝わってホウ悳と比べられたり、絵を見せられたりしたんじゃ…。想像なんですけどね…。
(N901iC/FOMA)
30 しす
>>28
私は関羽の場合は降った先が良かったのかな…という気がしますね。
彼は曹操の元で顔良を斬るという大功を立ててますが、これは曹操が彼を信頼して起用したことでしょうし、それに対し期待を裏切らぬ働きをしている。
一方で曹操は張遼に関羽の腹の内を探らせ、関羽の心情を知った張遼はそれを報告するかすまいかで悩む。
結局張遼は忠義には変えられないと報告すると曹操は「君主に仕えて、その根本を忘れないのは天下の義士である」と讃える。
関羽もまた、ただ出奔するのではなく、大功を立てて曹操の恩義に報い、贈り物に封印をして立ち去る。
曹操もまた関羽が自分の元に止まらず何れは去ることを知りながら彼を遇し、去っても追補の手を出さなかった。

それこそ小説の類じゃないの?と疑いたくなるドラマチックな展開。
これを演劇に例えるならば、主役の演技はもちろんのこと、それを脇で支える名バイプレイヤーいたからこそとも思えます。
青島君の横に室井さんと和久さんがいるように…。
(PC)
31 DJ SEIETSU
うーむ…
皆さんの思考も故あっての事でしょうが、于禁将軍は比較的皆さんの様に知識のある方々には、評価も高い気もしますね。
関羽公との比較については、関公は結果は降ったが、張遼という人物がいなければ、死を選んだ可能性も高いと僕は感じます。
于禁将軍は、即座に死を覚悟した様子は無いように思える所が、僕には“差”となった気もします。
(W31SA/au)
32 くわぁまん
思うに、于禁の最大の誤算は降った事では無く戦後処理、敗戦処理を間違えたことだと思います。
降将として、関羽、張遼、黄権、廖化等がいますが捕虜になった後が悪い…。

関羽の様に恩を返す、張遼の様に配下になる、黄権の様に相談役になる、はたまた廖化の様に死んだ振りして逃亡…、色々出来たでしょうに…。

勇将も老いてはド馬にも劣ると言ったところでしょうかね…(涙)
(F901iC/FOMA)
33 朱家
関羽がどうではなく、曹操が偉大、もしくは変人なだけと思いますよ。全てを飲み込む自信があっての事だと思いますけど。
虞翻は罵倒した事しか知られてないが、帰国のさい「殺すべき」と言ってる。内容はキツいが、優しさとも感じる。于禁も帰国後、彼を称賛してる。
孫権は、礼を尽して出迎えたのに、帰国させるなど、曹丕に劣らず、こちらも酷い。用いないなら殺しなさいって思いますね。
降った罪があるので、曹丕のイジメに耐えて欲しかったですね。いくらでも挽回できたはずですから。
もし予定通り、曹植が総大将になっていたら、于禁は降ってないと思います。必死で守ったでしょう。注釈ですけど、全て曹丕のせいかな?
(A1304T/au)
34 しす
>>32
スレ違いでなんだけど、それを言うなら「麒麟も老いては駑馬にも劣る」ですよ。
この場合の麒麟は動物園のアレでもなければ、伝説上の麒麟でもなく「駿馬」のことを指しています。
当然、麒麟も駑馬も馬を差しているからこそ意味が成立するのであって、今回のように片方を入れ替えてしまった場合、例えが意味を為さなくなってしまいます。

どうも印刷関係…しかも写植オペレーターや編集なんか経験してると、この手の間違いは看過できませんな。
(PC)
35 魔亜沈
今改めて于禁伝を読みました。やはり彼はすごいですね!最後のところは曹丕は結局何をしたかったんだろうか?っと疑問が残ってしまいましたが…。やはり曹丕も于禁が降伏した事が悔しかったんですかね?
しかしその行為の所為で于禁の評価をさらに落としてしまったと思います。
残念です。
(N901iC/FOMA)
36 魔亜沈
後、連書きになりますが、降伏した昌キ(?)を于禁が処刑しますが、裴松之が殺害を好む心のままにふるまい人々の意見に逆らった。最後に降伏者となり死んでからは悪い諡を与えられるのは当然と非難してますね、やってる事がなってないと言いたいのもわかりますが、ここまで言う程の事じゃないと思います。皆様はどう思いますか?
(N901iC/FOMA)
37 赤龍
昌キの一件は、旧知の間であったからこそ、あえて私情を挟まなかった、于禁の実直な(頑固な?)性格を示すもので、決して裴松之がいうように殺害を好んでやったわけではないと思います。
裴松之って、結構人の好き嫌いが激しそうですよね(笑)気に入らない奴はとにかくけなす。
それとも、司馬遷っぽく、因果応報的なことを語りたかったのかな?
(PC)
38 ストラップ
于禁の帰国は曹丕が帝位についた時ですよね?

浩周と東里コンは、曹丕が魏王を継いだ時?
(F2102V/FOMA)
39 赤龍
于禁の帰国は、文帝紀に221年8月と書かれており、明確に帝位についた後ですね。
浩周と東里コンは和訳ではちょっとわかりづらいですが、原文を見ると、曹丕が王位についたときとはっきり書かれています。
まずは格下の者から送り返して、様子を見つつ交渉していたのではないでしょうか?
(PC)
40 朱家
于禁は官渡時、延津を守って袁紹の攻撃を受けてるんだけど、正確な時期は不明なものの、白馬攻撃が二月で、同時期だろう。四月に曹操が戻ってきて陽動してるから、于禁を攻撃してた袁紹軍は手薄になってた訳です。
袁紹は渡河を問題にしてないから、しぶとい于禁がいる延津を放棄し、西方に展開したのだと思います。

袁紹にとって、あっさりと劉備が潰れるという、おそらく、本当に目玉が飛び出た誤算があったとはいえ(笑)、延津を守った于禁は凄いと思いますね。
(PC)