1 鈴木♂

明智伝鬼氏のこと

すでに皆様も御存知の事と思いますが、縄師の明智伝鬼氏が亡くなられました。
公式サイトで氏の遺影を拝見した鈴木♂が思った事は「随分痩せたなぁ」という
のが正直な感想でした。

鈴木♂は現役で活躍されておられる縄師さんの中で、日本を代表する中堅の縄師
さんは明智氏、有末氏、志摩氏の御三方だと思っておりましたが、その中の一人
である明智氏が亡くなられたというのは非常に残念な事だと思います。
明智氏の縄師として緊縛の方向性は有末氏と志摩氏の丁度中間辺りで、私としては
この御三方の縄師&プロとしてのスタンスを比較するのは大変興味深い事だと
考えておりました。
なお余談ですが、鈴木♂はこの御三方よりも一段上の段階に濡木痴夢男氏が
存在すると考えております。

'70年代には「縄師」という言葉は存在しませんでした。
当時の美濃村晃氏は現在でいう縄師という存在を「縛り屋」と呼んでおりました。
勿論、当時からSMで生計を立てている人は存在しましたが、それはSM雑誌の
編集者だったり、少数のSMクラブ関係者だったり、ストリップ劇場でSMショー
を公演するという人たちでした。
つまりお金を貰って緊縛を行うという職種の人はほぼ皆無であって、それを
「縄師」という名前で堂々と表舞台に登場し、それが成功を収めたのは明智氏が
初めてだったのではないかと思っております。
(PC)
2 鈴木♂
なお上に記した通り、当時のSMのプロたちは各々が分業であって、お互いの
関連性は薄いものでした。
それが縄師という【SM雑誌のグラビア撮影・SMショー公演・SMビデオ制作・
SMクラブ・緊縛教室・SM用品販売】などSMに関する事なら全て仕事として
取り扱うという姿勢の新しい職種の誕生を呼んだ要因だったのかもしれません。
そしてその「縄師」という新しいビジネスモデルを確立させ、SMのプロとなろう
とする後進のモデルケースとなった存在が明智伝鬼氏ではなかったのかと鈴木♂
は思います。

今から十年位前の話ですがその頃、明智氏は年に一回位ファンを集めて鬼怒川
温泉辺りの温泉旅館を貸し切って、緊縛撮影会を開催しておりました。
つまり温泉旅行&緊縛撮影会というファンサービスです。
その募集記事や撮影会の記事を読んだ鈴木♂は、縄師というサービス業に徹する
明智氏のプロとしての姿勢を感じました。
        明智氏の御冥福をお祈り致します。
(PC)