1 鈴木♂
機関車縛り
数年前に「およう」という団鬼六氏原作の松竹映画で竹中直人さんが伊藤晴雨氏の
役を演じておられましたが、その伊藤晴雨氏の面白いエピソードを発見しました。
伊藤氏が亡くなられたのは昭和36年(1961年)の事ですが、その頃に発行されて
いた雑誌の中で伊藤氏の追悼座談会が開かれたそうです。
その中で伊藤氏の関係者の方(たぶんカメラマンの方)が語った話なのですが、
伊藤氏はある時「機関車縛り」という責めを思いつき、それを実行しようとして
山手線・田端駅の駅長さんと交渉したのだそうです。
では、その「機関車縛り」という責めはどんなものなのかというと、蒸気機関車の
大きな車輪に女性を縛り付け、そのままカンシャク玉を敷いたレールの上を
走らせて、更にはその線路の脇で花火をパチパチ燃やすという豪快なものでした。
この計画を伊藤氏は他人には一切知らせておらず、当のカメラマン氏でさえ
実行当日の朝になってから分かったというムチャクチャなものでした。
カメラマン氏は「そんな無茶な事は駅長が許可しないでしょう」と伊藤氏に言った
そうなのですが、伊藤氏によると既に田端駅・駅長の許可は取ってあり、あとは
実行するのみだと興奮していたそうです。
カメラマン氏は更に「国鉄の運行に支障を来たすと悪いので止めましょう」と
伊藤氏を説得したのですが、伊藤氏は「それなら構内の空いている線路でやれば
良い」と諦めなかったそうです。
そしてカメラマン氏は最後に「私は先生が作ろうとしている世界を撮る自身が
ありません」と撮影を拒否したのですが、カメラマンがいない事には緊縛写真が
撮影できないので、流石の伊藤氏も「機関車縛り」を渋々諦めたそうです。
伊藤晴雨氏という方は昭和三年に日本初の緊縛写真集「責めの研究」を発行された
日本の現代SMの先駆者みたいな方なのですが、明治生まれの人ってやっぱり
パワーがあるというか行動力がありますよね。
役を演じておられましたが、その伊藤晴雨氏の面白いエピソードを発見しました。
伊藤氏が亡くなられたのは昭和36年(1961年)の事ですが、その頃に発行されて
いた雑誌の中で伊藤氏の追悼座談会が開かれたそうです。
その中で伊藤氏の関係者の方(たぶんカメラマンの方)が語った話なのですが、
伊藤氏はある時「機関車縛り」という責めを思いつき、それを実行しようとして
山手線・田端駅の駅長さんと交渉したのだそうです。
では、その「機関車縛り」という責めはどんなものなのかというと、蒸気機関車の
大きな車輪に女性を縛り付け、そのままカンシャク玉を敷いたレールの上を
走らせて、更にはその線路の脇で花火をパチパチ燃やすという豪快なものでした。
この計画を伊藤氏は他人には一切知らせておらず、当のカメラマン氏でさえ
実行当日の朝になってから分かったというムチャクチャなものでした。
カメラマン氏は「そんな無茶な事は駅長が許可しないでしょう」と伊藤氏に言った
そうなのですが、伊藤氏によると既に田端駅・駅長の許可は取ってあり、あとは
実行するのみだと興奮していたそうです。
カメラマン氏は更に「国鉄の運行に支障を来たすと悪いので止めましょう」と
伊藤氏を説得したのですが、伊藤氏は「それなら構内の空いている線路でやれば
良い」と諦めなかったそうです。
そしてカメラマン氏は最後に「私は先生が作ろうとしている世界を撮る自身が
ありません」と撮影を拒否したのですが、カメラマンがいない事には緊縛写真が
撮影できないので、流石の伊藤氏も「機関車縛り」を渋々諦めたそうです。
伊藤晴雨氏という方は昭和三年に日本初の緊縛写真集「責めの研究」を発行された
日本の現代SMの先駆者みたいな方なのですが、明治生まれの人ってやっぱり
パワーがあるというか行動力がありますよね。
(PC)