1 鈴木♂

追悼 吉村昭

★作家の吉村昭さんが死去…「破獄」で読売文学賞

徹底した史料調査と現地取材によって、歴史小説の名品を次々に生み出してきた
作家の吉村昭(よしむら・あきら)さんが7月31日午前2時38分、膵臓がんの為
死去した。79歳。

東京都生まれ。学習院大学在学中に肺結核でろっ骨を切除する手術を受けた。
この頃から小説を書き始め、丹羽文雄主宰の同人誌「文学者」に参加。
4回芥川賞候補になったが、65年、妻の津村さんが芥川賞を受け苦渋を味わった
こともあった。しかし66年「星への旅」で太宰治賞を受け、同年、初の戦史小説
「戦艦武蔵」がベストセラーに。以後、関係者への取材に基づく実証的で硬質な
記録文学を数多く発表。心臓移植を扱った「神々の沈黙」「関東大震災」
「ポーツマスの旗」、北海道の開拓村を舞台にした「羆嵐(くまあらし)」など
多彩な創作活動を精力的に続けた。
戦争の証言者が減るにつれ史実を重んじる歴史小説に比重を移し、吉川英治文学
賞を受けた「ふぉん・しいほるとの娘」、大佛次郎賞の「天狗争乱」や
「桜田門外ノ変」「落日の宴」や本紙連載「アメリカ彦蔵」など秀作を次々と
発表。多くの読者を獲得した。
「頭ではなく、手と足で書く」ことを信条にした作家は、歴史的な事件の日の
天候、その場所の状況を調べるために何度も現場に足を運んだ。
「史実には、一人の人間の頭ではちょっと思いつかない面白さがあることを
知るべき」と語る“歴史探偵”だった。(後略)
                    (2006年8月1日21時50分 読売新聞)
(PC)
2 鈴木♂
鈴木♂が初めて吉村昭氏の小説を読んだのは、たぶん高校生の頃の「戦艦武蔵」
じゃないかと思います。
吉村氏は歴史小説を書く立場上、司馬遼太郎氏とよく比較されていたのですが
吉村氏の小説は司馬氏の様に読者を楽しませる、史実を題材とした歴史小説
という感じではなく、記録や証言を元に事実を再構築した記録文学という感じが
しました。
ですから読者を楽しませるというよりも、そこに書かれた事実(現実)そのものに
読者が圧倒されたという気が致します。

上記の「戦艦武蔵」にしても、大和級戦艦の二番艦として武蔵が計画される処から
レイテ沖海戦で武蔵が沈没して、生き残った乗員たちが軍に幽閉されレイテ島に
上陸してきた米軍戦車を相手に口封じを兼ねた肉弾攻撃をさせられるという
不条理な現実までを冷酷な事実として淡々と描いています。
日本を代表する文学賞である芥川賞は純文学、直木賞は大衆小説というジャンル
分けですから、純文学とも大衆小説ともちょっと距離を置いた様な吉村氏の
記録文学がこの二つの賞を貰えなかったという事は納得できる様なできない様な
複雑な気が致します。
最も近年、この二つの賞はバックにいる出版社やマスコミの力関係がミエミエで
選考委員が議論する前から受賞作が決まっているんじゃないのか?という気も
しない訳ではないんですけどね (-_-;)
(PC)
3 鈴木♂
鈴木♂は近年の両賞受賞作には、ちょっと首を傾げたくなる様な小説が目に
付いてしまい、これだったら「電車男」に直木賞を、団鬼六氏の「不貞の季節」
に芥川賞を授与したほうが良いのではないか?とちょっぴり思ったりもします。

団氏の量産されたSM小説は、御本人が「お金を得る為に書いている珍小説」と
明言している通りその殆どがマンネリ化した通俗小説で、真に団氏の作家
としての器量が知りたいのであれば、将棋小説や伊藤晴雨氏の伝記小説を
読むのが正解ではないかと鈴木♂は思います。

吉村氏の「深海の使者」という、第二次大戦中に日本とドイツを行き来していた
日本海軍の潜水艦群を描いた小説を読んで、鈴木♂は「この人は原稿用紙一枚
書くのにどれ程の資料を集めたのだろうか?」と感心した事があります。
皆様が読んで下さる鈴木♂のこの駄サイトですが、そんな吉村氏の影響を鈴木♂
も少しは受けているせいか?事実(真実?)にはそれなりの検証を重ねて書いて
いるつもりです。
オランダの有名な会員制SMサロン「DOMA」が本当はアムステルダムではなく
デン・ハーグ市にあったり、ザッヘル=マゾッホがプラハ大ではなくグラーツ大
の卒業生だったりとたまに素で勘違いする事もあるんですけどね (-_-;) 。
(PC)