1 鈴木♂

インナーマスターという存在

近年、日本のSMシーンに於いて一部のM女性の間には「インナーマスター」
という考え方がある事を浅学な鈴木♂は最近になって知りました。

インナーマスターというのは文字通りその人(M女性)の心の中に存在する
理想的な主人(S)の事で、これって昔どこかで聞いた事がある思想だなぁと思い
web上を検索してみると、これはやはり'90年代初頭のアメリカでちょっとだけ
流行ったスピリチュアルな思想が根源みたいです。

    Harold Klemp 著  "How the Inner Master Works"

http://www.amazon.co.jp/Inner-Master-Works-Mahanta-Transcripts/dp/1570431035

鈴木♂の記憶が確かなら当時日本でもこれに関する訳書が出ていて、鈴木♂も
それをちょっとだけ読んだ事があるのですが、内容は自分の心の中にインナーマスター(心の師)を想定し、現実的な生活での指針や判断をその師と心の中で会話しながら答えを得ようというというものだったと思います。

時が経ち、この思想もやがて忘れ去られて行ったのですが、何故か日本のSM界
それもM女性の間に残っていて、それがたまにweb上に浮上して露見される事が
あるというのがインナーマスターという思想の現状みたいです。

web上でこの思想に関するSM愛好家の議論は非常に少ないのですが、それらの
議論を読むと、S男性はM女性の心の中のインナーマスターに打ち勝たなければ
ならないというS男性の意見もあるのですが、鈴木♂は正直言ってそれは相手が
想像上の産物というか理想像なのでたぶん無理なのではないかと思います。
(PC)
2 鈴木♂
web上のブログなどで自分の心の中にあるインナーマスターの存在を明らかに
しているというM女性たちの多くは現実的なSM行為を経験した事が無いという
方が多いみたいなのですが、それはそれでOKであってパートナーを求めてSM
行為を行う事が自分にとってのSMの最終目的であり、それが全てだと鈴木♂は
思わないからです。

SM愛好家が持つSM的な欲求というものは、実際にSM行為を行うしか昇華
できないというものではないと私は思いますし、現在の日本であればSM雑誌を
読んだりSMビデオを見たりするという事も非常に効率の良いSM的な欲求の
昇華の仕方ではないかと思います。
そして他の方法としてはサド侯爵や千草忠夫氏の様にSM小説を書いたり、上記の様に自分の心の中にインナーマスターを置くというのもSM的な欲求を昇華する一つの方法なのではないのかと。

ではM女性にとってのインナーマスターという内なる存在はリアル派のS男性に
とって邪魔な敵対すべき存在なのでしょうか?
(PC)
3 鈴木♂
鈴木♂はそうは思えません。
SMというものはあくまでも極私的なものであって、同じSM愛好家と云えども
他人の嗜好や性癖に口出しすべきではないというのが鈴木♂の基本的な考え方
だからです。
ですからもし仮にweb上の掲示板で知り合ったM女性にインナーマスターなる
存在が居たとしても、それと敵対せず包容力と寛容な心を持ってその女性を見守る
というのが真のS男性が為すべき態度なのではないのかと。

とここまで書きましたが、この状況は高橋留美子さんのマンガ「めぞん一刻」と
よく似ていると思います。一刻館の管理人である未亡人の響子さんは亡夫である
惣一郎さんの影をずっと引きずって生きています。
それに対して彼女に恋心を抱く五代君は彼女にとっては最早理想像としか云えない
惣一郎さんの影を意識しながらも、何とか彼女の心を変えようと懸命に努力しながら生きて行きます。
その努力が結果的にマンガならではのハッピーエンドで終わるのですが、現実の
世界に生きる私たちには必ずしもハッピーエンドが訪れるとは言えません。

それでも自分にとってのハッピーエンドが訪れる事を期待しながら、前向きに
生きて行くというのが人間の理想像だろうと思いますし、それを実行している人
は輝いて見えると鈴木♂は思います。

何だか途中で論旨が変わってしまった様な気もしますがSM愛好家が百人居れば
百通りのSMというものがあって、どれが間違いでどれが正しいとは言えない
という事を言いたかった様な気がします。
(PC)