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涼州・関中軍閥

涼州・関中の軍閥は討伐されるまでどのような事をしていたのか?などA語りましょう♪
馬超ってカッコイイ?>>>43
謎多き韓遂>>>125
(W32SA/au)
33 巫俊(ふしゅん)
>>32
いや、衛星写真を見てるので別段困らないですよ。
その論法でいくと、洛陽は四方のほとんどを山で囲まれているんで、中原ではないことになりますね。
グーグルマップのサテライトをよ〜く見てください。洛陽の東・南・西はもちろんのこと、北の黄河沿いさえも、少しの隙間をのぞいて山で仕切られていますよ。
(PC)
34 赤龍
>>33
洛陽は、一般的な地図を見ても、確かに周囲に山で囲まれてますが、東方はしっかり河北平原とつながってますよ。河北平原の西端という感じはしますが。
どうして、私の関中盆地と河東郡のつながりの話から、洛陽は中原でないという結論に達するのでしょうか?
(PC)
35 赤龍
一応、紹介されているグーグルの地図も見てみましたが、一応衛星写真では山にはなってますが、山のレベルが河東の例とははるかにちがいますね。
衛星写真は雰囲気つかみにはいいかもしれませんが、実際の標高などがはっきりわからないのが欠点でしょうか。
それに、河川による連続性も見落としてはいけません。この面でも、洛陽は河北平原とつながっていることは明白ですし、河東は関中盆地とのつながりの方がより強く感じられると思います。
(PC)
36 赤龍
あ、衛星写真の問題に触れて、等高線の問題に触れないのはフェアじゃないので、こちらも説明を。
等高線の問題は、等高線の間隔をどの程度に設定するか?ということです。小さい遺跡を測量するのに、1m単位の等高線では遺跡の形がさっぱり伝わらないし、広い範囲の地形を見るのに25cm間隔では煩雑すぎて実態がつかめない。
なので、現場・用途に応じてそれに適した等高線が必要になるということ。逆にいえば、等高線の間隔を操作することで、自分に都合のいい地図さえ作ることができるということ。これについては、衛星写真のほうがごまかしはきかないという長所もありますね。
で、現在の河東郡と関中のような、広い範囲の地域のつながりを論じる場合は、やはりある程度広い間隔の等高線を使う事が有効となる。あまり細かく設定すると、断絶性ばかりが強調され「洛陽は中原では無い」というような結論に達してしまいますから。
ちなみに、学術的な資料では衛星写真を使わず、等高線の実測図が一般的なのは、>>35であげたように衛星写真ではあくまでアバウトな雰囲気しか伝えられない事があるためでしょう。勿論、そういう視点からも得られるものもあるでしょうが。
以上、余談でした。
(PC)
37 巫俊(ふしゅん)
・中原について

「中原」という単語で全文検索してみて気付きましたが、この中原という言葉を具体的な区間をもって地理区分する言説はあまり見られないようですね。
主に古代の典籍ばかりを検索しましたので、穴は沢山あるでしょうが。
洛陽の例で分かるように、中原という言葉は遮るもののない平原として定義しようとすればするほど、東の方にずれていきます。
考えてみると、中原という言葉は、殷の甲骨文や西周の青銅器銘文には存在しない言葉なので、たぶんに後年になってつくられた言葉という気配がありますね。
具体的にいえば、春秋時代の中原の諸侯などがそれに該当するはずですが、左伝に一例だけある中原という言葉は、晋楚の決戦場を暗示する言葉として登場し、どうも河南の平原一帯を指しているようです。
先秦時代の研究では、洛陽以東を中原と呼ぶことがありますし、戦国の三晋も中原諸侯と呼ぶことも事実です。
(PC)