1 赤龍

邪馬台国について その2

このスレもめでたく2つ目突入。
邪馬台国の謎、魏志倭人伝、卑弥呼、当時の日本と中国の関係、といった三国時代の日本関連について討論しましょう。

前スレ >>>205
邪馬臺國(邪馬壹國?)
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37 巫俊(ふしゅん)
訂正:倭と朝鮮南部の五国で合計六国でした。
巫女王オキナガタラシヒメノミコトは4世紀後半の人くらいに類推しましたが、5世紀の初めでも類推できそうな感じです。
(PC)
38 赤龍
ちなみに、倭王讃を歴代のどの天皇にあてはめるかというのは、応神に比定するのが一番有力ですよね。応神の母は神功皇后。ちょっと日本書紀の編年とずれちゃいますね。
また、倭の五王の九州説というのは、中国の文献に出てくる倭の五王は、大和朝廷の天皇ではなく、それとは別の九州地方の国の王とする説です。この時代もまだ大和朝廷の支配が九州にまで及んでなかったという考えに基づくものです。
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39 赤龍
つまり、倭の五王九州説の立場をとると、倭の五王の記述への比定をもとに行った応神から雄略あたりまでの編年が、根本から否定されちゃうわけですね。
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40 巫俊(ふしゅん)
>>39
雄略期については、この時代のワカタケル大王の銘文入りの鉄剣が南九州と関東の古墳から出土していることで、畿内と九州を包含した政権と判断することができるのではないでしょうか。
九州王朝説の場合は南朝の歴史書に出てくる倭王武は半独立的な九州王朝の仕立てた偽使だという解釈がなされることがあるのかな。
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41 巫俊(ふしゅん)
あと5世紀の高句麗長寿王が作った好太王碑文によると、高句麗と倭が交戦したとされるのが好太王期の391年あたりでしたか。
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