1 赤龍
邪馬台国について その2
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38 赤龍
ちなみに、倭王讃を歴代のどの天皇にあてはめるかというのは、応神に比定するのが一番有力ですよね。応神の母は神功皇后。ちょっと日本書紀の編年とずれちゃいますね。
また、倭の五王の九州説というのは、中国の文献に出てくる倭の五王は、大和朝廷の天皇ではなく、それとは別の九州地方の国の王とする説です。この時代もまだ大和朝廷の支配が九州にまで及んでなかったという考えに基づくものです。
また、倭の五王の九州説というのは、中国の文献に出てくる倭の五王は、大和朝廷の天皇ではなく、それとは別の九州地方の国の王とする説です。この時代もまだ大和朝廷の支配が九州にまで及んでなかったという考えに基づくものです。
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40 巫俊(ふしゅん)
>>39
雄略期については、この時代のワカタケル大王の銘文入りの鉄剣が南九州と関東の古墳から出土していることで、畿内と九州を包含した政権と判断することができるのではないでしょうか。
九州王朝説の場合は南朝の歴史書に出てくる倭王武は半独立的な九州王朝の仕立てた偽使だという解釈がなされることがあるのかな。
雄略期については、この時代のワカタケル大王の銘文入りの鉄剣が南九州と関東の古墳から出土していることで、畿内と九州を包含した政権と判断することができるのではないでしょうか。
九州王朝説の場合は南朝の歴史書に出てくる倭王武は半独立的な九州王朝の仕立てた偽使だという解釈がなされることがあるのかな。
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