48 巫俊(ふしゅん)
現代中国では伝統上、陝西省を親しみをこめて秦と呼び、同じく山西省を晋と呼びます。
河東地域は山西省です。
その起源は唐代にまで遡れ、河東地域をふくむ山西省を河東道と地理区分し、潼関以西の陝西省と寧夏ウイグル族自治区を関内道と区分しています。
以降、元・明・清と当時の地理区分である陝西省(元代は陝西行省)は、すべて潼関以西を指して行政範囲としています。
これすなわち、河東郡をふくむ関西という地理区分が、三国時代を前後とする時代に特有の地理認識である可能性が提議されます。五胡時代以降はまで未確認ですので、あくまで仮定のことですが。
その上で、三国時代(の直前の)関西の武将の去就を論ずるのは、的外れなことでしょうか?
河東地域は山西省です。
その起源は唐代にまで遡れ、河東地域をふくむ山西省を河東道と地理区分し、潼関以西の陝西省と寧夏ウイグル族自治区を関内道と区分しています。
以降、元・明・清と当時の地理区分である陝西省(元代は陝西行省)は、すべて潼関以西を指して行政範囲としています。
これすなわち、河東郡をふくむ関西という地理区分が、三国時代を前後とする時代に特有の地理認識である可能性が提議されます。五胡時代以降はまで未確認ですので、あくまで仮定のことですが。
その上で、三国時代(の直前の)関西の武将の去就を論ずるのは、的外れなことでしょうか?
(PC)
49 赤龍
>>46
言わんとする内容がよくわからないのですが。とりあえず、引用文についてはそういう問題じゃあないですよ。文章を書く人間としては注意しなければいけない重要なことです。
>>47
繰り返しますが、議論の際は論点を明確にすることが大切です。単に自分の知識や調べたことを無秩序に並べられても、読み手としては何が言いたいのか上手くつたわりませんから。
もう一度質問しますが、結局巫俊さんは、後漢末に河東郡が関西に含めて考えられ、河東の豪族が馬超ら関中諸将の反乱に同調しているというような問題についてどういう理由によるものと考えておられるのでしょうか?
もし冷静な議論が出来ないようでしたら、荒れる原因になりますし、この話は打ち切りましょう。
言わんとする内容がよくわからないのですが。とりあえず、引用文についてはそういう問題じゃあないですよ。文章を書く人間としては注意しなければいけない重要なことです。
>>47
繰り返しますが、議論の際は論点を明確にすることが大切です。単に自分の知識や調べたことを無秩序に並べられても、読み手としては何が言いたいのか上手くつたわりませんから。
もう一度質問しますが、結局巫俊さんは、後漢末に河東郡が関西に含めて考えられ、河東の豪族が馬超ら関中諸将の反乱に同調しているというような問題についてどういう理由によるものと考えておられるのでしょうか?
もし冷静な議論が出来ないようでしたら、荒れる原因になりますし、この話は打ち切りましょう。
(PC)
50 巫俊(ふしゅん)
政治動態的アプローチによって、後漢・三国時代の地理認識を論じようと考えています。
地理認識というものは、地形からだけ生まれるものではありません。立体的なだけでなく名称的で政治的な歴史的背景を考える必要があります。
函谷関以西であれ、潼関以西であれ、関西という言葉の起源の追求なくして、河東地域の理解もないでしょう。
程銀を例にすれば、彼は豪族だそうですから、
例えば、董卓がヘイ州刺史や河東太守の印綬を所持していたことがありましたよね。(赴任していない?)
董卓長安政権時代の牛輔の駐屯地が河東郡の安邑です。
そのほか、群雄関連のエピソードの中にもヘイ州と涼州の類似性や関係を論じることのできる材料が揃っているかもしれません。
ヘイ州と涼州を結ぶ経由地が河東ですし、関西人士の性格を論じるには河東郡の考察は有用だと思われます。
河東郡の諸豪族が馬超の反乱に同調したのは、地形のこともさることながら、人間関係に起因するものが大きいはずです。利害を同じくする環境・関係といったものですね。人間関係は何がしかの土壌と歴史的背景によって結びつき生まれるものですから。
地理認識というものは、地形からだけ生まれるものではありません。立体的なだけでなく名称的で政治的な歴史的背景を考える必要があります。
函谷関以西であれ、潼関以西であれ、関西という言葉の起源の追求なくして、河東地域の理解もないでしょう。
程銀を例にすれば、彼は豪族だそうですから、
例えば、董卓がヘイ州刺史や河東太守の印綬を所持していたことがありましたよね。(赴任していない?)
董卓長安政権時代の牛輔の駐屯地が河東郡の安邑です。
そのほか、群雄関連のエピソードの中にもヘイ州と涼州の類似性や関係を論じることのできる材料が揃っているかもしれません。
ヘイ州と涼州を結ぶ経由地が河東ですし、関西人士の性格を論じるには河東郡の考察は有用だと思われます。
河東郡の諸豪族が馬超の反乱に同調したのは、地形のこともさることながら、人間関係に起因するものが大きいはずです。利害を同じくする環境・関係といったものですね。人間関係は何がしかの土壌と歴史的背景によって結びつき生まれるものですから。
(PC)
51 黒耀竜
ふだん討論場には書き込みしないのですが、あえて一言申し上げます。
お2人の話はたしかにこのスレッドに関係はありますが、だからといってここで論じることが適当なのでしょうか?
>>1にあるように、ここは主に「軍閥について」を議論する場所のはずです。
赤龍さんから打ち切り提案も出たことですし、このへんでドローにされてはいかがでしょうか。
どうしても曖昧なままにできないのであれば、新しいスレッドを立てるべきです。
お2人の話はたしかにこのスレッドに関係はありますが、だからといってここで論じることが適当なのでしょうか?
>>1にあるように、ここは主に「軍閥について」を議論する場所のはずです。
赤龍さんから打ち切り提案も出たことですし、このへんでドローにされてはいかがでしょうか。
どうしても曖昧なままにできないのであれば、新しいスレッドを立てるべきです。
(PC)
52 仲達
初めましてm(__)m 仲達と申します。 いつも先生方のご意見楽しく拝見させていただいておりますm(__)m 私みたいな初心者が意見をさせていただくのも何ですが… こちらの討論の場と言うのは、自分に無い意見を他人が発言した時「なるほど!そう言う意見(考え方)もあるのか!」とお互いを認め合う(向上)させる場ではないでしょうか? 私みたいな初心者が生意気な事を申しましてすみませんm(__)m
(N700i/FOMA)