53 巫俊(ふしゅん)
引用文については道義的なこともありますよね。受け手の解釈によって左右されるところでありますが。
>>49
論点は明確ですよ。関西の歴史的地理的区分の問題です。
関西人士については>>50。
継続するかしないかはお任せします。三国時代に限定して話をするなら、論点が明確になると思います。
>>49
論点は明確ですよ。関西の歴史的地理的区分の問題です。
関西人士については>>50。
継続するかしないかはお任せします。三国時代に限定して話をするなら、論点が明確になると思います。
(PC)
54 ストラップ
>>51
赤龍さんが>>49で述べられているのは「打ち切り提案」では無く、「冷静な議論」を望む声だと思いますよ。
>>47
ちょっと言葉が足らなかったようなので、もう少し書きますね。
張魯伝によると、馬超の反乱に参加した諸将の内には、河東出身者(ドウ関以東の豪族)が含まれている。つまり、「馬超の反乱に呼応した関中の諸将」と言うが、そこには河東郡の者も含まれている。(>>7)
この場合、河東郡の者が置かれていた立場は、関中の諸将に似ているだろう。
故にこの場合、行政的な区分を考えずに、河東郡を関中の範囲に含めて考えるべきではないだろうか。こう考える事で、当時の馬超の軍勢を読み解く事が出来るのではないか?(>>10)
こういう提案が行なわれているのです。
実際の区分としての河東郡を云々と言われている訳ではありませんよ。
赤龍さんが>>49で述べられているのは「打ち切り提案」では無く、「冷静な議論」を望む声だと思いますよ。
>>47
ちょっと言葉が足らなかったようなので、もう少し書きますね。
張魯伝によると、馬超の反乱に参加した諸将の内には、河東出身者(ドウ関以東の豪族)が含まれている。つまり、「馬超の反乱に呼応した関中の諸将」と言うが、そこには河東郡の者も含まれている。(>>7)
この場合、河東郡の者が置かれていた立場は、関中の諸将に似ているだろう。
故にこの場合、行政的な区分を考えずに、河東郡を関中の範囲に含めて考えるべきではないだろうか。こう考える事で、当時の馬超の軍勢を読み解く事が出来るのではないか?(>>10)
こういう提案が行なわれているのです。
実際の区分としての河東郡を云々と言われている訳ではありませんよ。
(PC)
55 ストラップ
>>53
赤龍さんが>>49で書かれた部分で最も大切な部分は、
「もう一度質問しますが、結局巫俊さんは、後漢末に河東郡が関西に含めて考えられ、河東の豪族が馬超ら関中諸将の反乱に同調しているというような問題についてどういう理由によるものと考えておられるのでしょうか?」
という部分だと思いますよ。
赤龍さんが>>49で書かれた部分で最も大切な部分は、
「もう一度質問しますが、結局巫俊さんは、後漢末に河東郡が関西に含めて考えられ、河東の豪族が馬超ら関中諸将の反乱に同調しているというような問題についてどういう理由によるものと考えておられるのでしょうか?」
という部分だと思いますよ。
(PC)
56 巫俊
>ストラップさん
論点の整理感謝です。
それでは提案しますが、関中の諸将に河東出身者がふくまれて史書に書かれるのは、
似ている境遇にあるからではなく(似ているが)、河東郡が関中及び関西に地理的区分されていたからではないですか?トキ伝では曹操自身が河東郡を関西と呼んでいますし、ちくま訳を参照したところ、河東を関西と呼ぶのは馬超の戦役時の特殊な例ではないようです。
論点の整理感謝です。
それでは提案しますが、関中の諸将に河東出身者がふくまれて史書に書かれるのは、
似ている境遇にあるからではなく(似ているが)、河東郡が関中及び関西に地理的区分されていたからではないですか?トキ伝では曹操自身が河東郡を関西と呼んでいますし、ちくま訳を参照したところ、河東を関西と呼ぶのは馬超の戦役時の特殊な例ではないようです。
(N503i)