1 しす
関羽綜合スレ(関帝 その2)
>>>99の続きです。
本スレは神としての関羽、つまりは関帝(関帝聖君)について語るスレでしたが、武将としての関羽にも言及が及びましたので、関羽スレとして引き続きお願いします。
もちろん三界伏魔大帝神威遠震天尊関聖帝君についても引き続きこちらでお願いします。
また前スレでは関公の侍神、周倉、関平にも及んでいますので合わせてどうぞ。
本スレは神としての関羽、つまりは関帝(関帝聖君)について語るスレでしたが、武将としての関羽にも言及が及びましたので、関羽スレとして引き続きお願いします。
もちろん三界伏魔大帝神威遠震天尊関聖帝君についても引き続きこちらでお願いします。
また前スレでは関公の侍神、周倉、関平にも及んでいますので合わせてどうぞ。
(PC)
63 しす
>>57-60
実家で学生時代に買った本を整理していたら、新人物往来社の『三国志縦横談』で周倉に関する記述を見つけました。
以下原文のまま。
また『山西通志』に次の記載がある。
「周将軍は平陸の人なり。初め張宝の将たり。後に関羽と臥牛山に遇い、ついに相従う。樊城之役に生きながらホウトクを擒え、後、麦城を守りて死す」
『山西通志』は後代に書かれたものだし、あまりにも演義の周倉像そのものなので資料的価値はどうかとも思いますが…。
実家で学生時代に買った本を整理していたら、新人物往来社の『三国志縦横談』で周倉に関する記述を見つけました。
以下原文のまま。
また『山西通志』に次の記載がある。
「周将軍は平陸の人なり。初め張宝の将たり。後に関羽と臥牛山に遇い、ついに相従う。樊城之役に生きながらホウトクを擒え、後、麦城を守りて死す」
『山西通志』は後代に書かれたものだし、あまりにも演義の周倉像そのものなので資料的価値はどうかとも思いますが…。
(PC)
66 巫俊(ふしゅん)
『山西省地図冊』には(2005年発行)平陸県に周家湾という地名はないようですけど、最終的には村単位で書かれた地形図を参照するよりほかはないですね。
平陸県は漢の河東郡の一部です。黄河の渡し場の茅津があったところが平陸というところですね。
『漢書』や『後漢書』には、ヘイ州西河郡の平陸県という地名が登場しますが、ヘイ州の平陸県との関係は不明です。
平陸県は漢の河東郡の一部です。黄河の渡し場の茅津があったところが平陸というところですね。
『漢書』や『後漢書』には、ヘイ州西河郡の平陸県という地名が登場しますが、ヘイ州の平陸県との関係は不明です。
(PC)