1 しす

関羽綜合スレ(関帝 その2)

>>>99の続きです。
本スレは神としての関羽、つまりは関帝(関帝聖君)について語るスレでしたが、武将としての関羽にも言及が及びましたので、関羽スレとして引き続きお願いします。
もちろん三界伏魔大帝神威遠震天尊関聖帝君についても引き続きこちらでお願いします。
また前スレでは関公の侍神、周倉、関平にも及んでいますので合わせてどうぞ。
(PC)
66 巫俊(ふしゅん)
『山西省地図冊』には(2005年発行)平陸県に周家湾という地名はないようですけど、最終的には村単位で書かれた地形図を参照するよりほかはないですね。

平陸県は漢の河東郡の一部です。黄河の渡し場の茅津があったところが平陸というところですね。

『漢書』や『後漢書』には、ヘイ州西河郡の平陸県という地名が登場しますが、ヘイ州の平陸県との関係は不明です。
(PC)
67 巫俊(ふしゅん)
>>66
現在の平陸県は漢代の河東郡の位置にあります。

とややこしいので訂正しておきましょう。

古今、平陸という地名には三種あります。
三国時代の地名に直すとそれぞれ以下の地点を指しますので付記しておきます。

ヘイ州西河郡平陸県
司隷河東郡大陽県
エン州東平国東平陸県

平陸は古くは『孟子』にも出てくる地名ですが、それはエン州東平国の東平陸のことを指しています。

三国時代にあって、東の平陸に対する西の平陸とは、ヘイ州西河郡の平陸県です。
ですが、この西河郡平陸県は山西省の西部に位置しますから、山西省の南部に位置する現在の平陸県(河東郡大陽県)とは位置が離れています。
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68 巫俊(ふしゅん)
>>67
そこで参考になるのが唐代に書かれた『通典』という書物です。
少しばかり引用するとこうあります。

本文

陝 州・・・(中略)・・・春 秋 虢 國 之 地 , 所 謂 北 虢 也 .

注釈

虢 仲 國 , 今 平 陸 縣 .

虢國(かくこく)という国は、西周時代から春秋時代の前期にかけて、この地にあった国の名前です。
この国の城跡からは鉄器が発見されていまして、往年の虢國(かくこく)は強国だったようです。

虢國(かくこく)は下陽と上陽というふたつの首邑をもっていまして、下陽は山西省平陸県にあり、上陽は河南省陝県にあります。
このふたつの城はそれぞれ黄河の北岸と南岸にありまして、実は黄河を挟んで隣あっているんです。

考えてみると、ここに茅津という黄河の渡し場があるのも合理的ですし、南岸の陝県に函谷関があるのも、立地的にかなっています。

唐代以降の平陸は、関西と関東を結ぶ接点にもあったといえますね。
(PC)
69 巫俊(ふしゅん)
>>67
能書きが長くなりましたが、演義が流行した伝統的な中国社会において、
周倉は関羽に仕えた武人として、一定の敬意を払われていた訳です。

例えば、福建地方の伝統的な歌謡を集めたものに『閩南語俗曲唱本「歌仔冊」』というものがありますが、
赤壁の戦いを歌った歌詞が何種類かありまして、

雲 長 周 倉 來 領 令

という一句を見出すことができます。

領令は、雲長・周倉が軍隊を引率するという意味か、もしくは雲長・周倉が孔明の命令訓示を受けるというような意味だと思われます。
(PC)
70 巫俊(ふしゅん)
ところで、清代に朱子光という人が台湾にいまして、『關聖帝君祀典序』という千数百字くらいの短い文章を残していまして、関帝廟や関羽の神について雑多な考察を書き連ねてあるようです。
周倉は陳寿の三国志には出てこないとか、なんか正史派の原点みたいなこと書いてあります(笑)
これは19世紀の前半に書かれたってことがはっきりしてるので、いつの時代に関羽と周倉がどう扱われていたか、とかを知る史料になるようですよ。

ということで、一人で興奮しながら読んでるんですが(笑)
長くなりそうなんで、これも私のブログに書くことにします。

けっこう周倉関係の伝説はありそうですね。
(PC)