1 エミ

夏候惇

実は勉強家で陣中でも常に講師を招いていた…というのを最近知りました。彼が十代の時、恩師を侮辱した男を殺して地元に居られなくなり、曹繰の下に逃げ来たというのは、正史ではどのように書かれているのですか?
(D503iS)
94 ストラップ
>>93

一度>>>142-7-10>>63-64を読み直してみては如何でしょうか?

あと、変な改行は読みづらいので、直した方が良い癖ですよ。
(F2102V/FOMA)
95 巫俊(ふしゅん)
>隻眼
それじゃ独眼流(伊達)正宗が..^^
(PC)
96 巫俊(ふしゅん)
夏候惇は初期のころから太守を歴任していまして、行政能力に秀でていたようです。
(PC)
97 張洋
皆様はじめまして(^^)
少し話題になっていた事ですが、眼の事で疑問が残ったので書き込みさせていただきます。
矢を受けて隻眼になったとの事ですが、まず疑問があるのはその後の状態です。
矢を射られたほどの傷ならばまず眼球を残す事はできないでしょう。(眼球に大きな傷があれば炎症・腐敗で他にも影響してしまうため。もしそのままであれば間違いなく脳に達します)
そして、眼球を摘出していたとしたら何か代わりの物(現在なら義眼)を入れておかなければ骨や筋肉が変形してしまい、かなり無惨な顔になってしまいます。
夏候敦はどうしていたのでしょうか?やはり眼帯なるもので眼の部分を隠していた?それともそんな姿など気にしなかった?そもそも当時は眼に対する医療技術はあったのでしょうか?
私的な疑問で申し訳ありません。
そして、内容が微妙なのでこの場にふさわしくないようでしたらお手数ですが削除お願いいたします(^^;
(F882iES/FOMA)