1 大伴

貴方にとっての三国志のお尻は?

歴史とは、切れ目無く流れていますから、区切りをつけるのは大変難しいものです。
私は先日、
「三国志を物語化した場合、自分ならどこで終わるか」
という議題で思考していました。

私の中では「三国になったら」という結論に達しました。私の中では三国志物語とは、「三国のお話」では無く、「三国になる過程の話」の様です(もっとも、呉に関しては、孫権が魏の呉王となった頃を始めと考えて)。

魏→220
蜀→221
呉→222(実際は229)

このあたりの年でしょうか。

この頃になると、関羽、曹操、夏侯惇、張飛etc……と、メインキャストが次々と舞台裏に下がり始めます。馬超、張遼、曹仁もしばらく後には……三国志物語は「滅ぶ人」をメインテーマとすべき物語ですが、建国で終わりでも良いかなと思います。

終わり方には、

孔明の死
蜀の滅亡
晋の建国
呉の降伏
東晋の開き(三国志平話はこれ)
と、色々あると思います。皆さんの考える三国志はどこまでですか?
(F2102V/FOMA)
34 ストラップ
>>>400-19
三国志は、>>>400-16に書きました様に、三国時代ヘの過程に多くの文字を費やします。ですから三国志の時代は、後漢末の三国鼎立までの準備期間から、晋の統一(呉の滅亡)までの事です。
三国時代は(どこからどこまでという定義は諸説ありますが)、三国志の時代の一部なのですよ。
(F2102V/FOMA)
35 子竜
面白い内容のスレなのでアゲます。

私は三国志の終わりは蜀の滅亡した264年と考えます。別に蜀びいきだからというわけではありません。まぁ、簡単な理由で「蜀漢が亡んだからもう二国じゃないか」というのが理由なんですけどね。
三国時代の始まりについては、やはり、孫権が帝位についた229年と考えます。ここに来てようやく名実共に国が三つに分かれたわけですからね。
(W31SA/au)
36 巫俊(ふしゅん)
>35

266年10月に倭女王が晋に遣使してるんで、蜀が滅んだことで名実ともに晋と倭が呉を牽制する三国時代になったのかもしれないですね。
な〜んて書くと、突っ込みをもらいそうですが(笑)
確かに蜀の代わりになるもう一国を用意して、三国時代は継続してると主張するのは大変苦しい(笑)
(PC)
37 巫俊(ふしゅん)
>>36
あっ、ついでに「266年10月に倭女王が晋に遣使」の元ネタは、
日本史の新しい概説書の『日本の時代史1 倭国誕生』(吉川弘文館、2002)の73ページに出てくるんですが、
『日本書紀』神功皇后六十六年の条に『晋起居注』という書籍の一部が引用されていて、そこに書いてあるそうです。
(PC)