1 飛
献帝・劉協
漢王朝ラストエンペラー劉協!彼を主人公にした物語などがあっても面白そうじゃないですか?と妄想したりする今日この頃。
皆で協のわかっていること、想像なんかも語ってしまうスレ。
皆で協のわかっていること、想像なんかも語ってしまうスレ。
(W11K/au)
45 赤龍
牛輔の部曲、董宅卓の腹心、董太后の甥という3つはそれぞれ別の史料に見えるもの。どれかが間違いの可能性もあるし、必ずしも三者が同一の董承とはいえないとも思えます。
特に董卓の腹心とする『献帝起居注』は、董卓の一族董旻、董コウと董承が並べられており、董卓の同族として書かれたととれます。すると、董太后の甥というのと矛盾してしまいますね。
特に董卓の腹心とする『献帝起居注』は、董卓の一族董旻、董コウと董承が並べられており、董卓の同族として書かれたととれます。すると、董太后の甥というのと矛盾してしまいますね。
(J-SA05)
46 赤龍
高島俊男さんは『三国志きらめく群像』中で、この3つの経歴を「どれか一つが本当だとするとあとの二つは間違い、という関係にある」としています。董太后の一族と董卓の一族という前述の矛盾に加え、太后の一族や董卓の腹心が牛輔なんかの部曲にいるはずはないだろうと。
そして、董卓の死後一族も皆殺しにあったのに、一族で腹心の者が帝のそばにのうのうといられるはずはないだろう、とこれを否定しています。
そして、董卓の死後一族も皆殺しにあったのに、一族で腹心の者が帝のそばにのうのうといられるはずはないだろう、とこれを否定しています。
(J-SA05)
47 ストラップ
>>45-46
確かに「董旻、承、コウ」という書き方は、姓も略していますし、並びも真ん中ですし、董旻、董コウと同じ一族、というニュアンスを持っていそうですね。
赤龍さんの言われる様に、「董承という武官が同時期に二人存在した」、とか、「参照している資料に間違った記述がある」という可能性は高かそうですね。
確かに「董旻、承、コウ」という書き方は、姓も略していますし、並びも真ん中ですし、董旻、董コウと同じ一族、というニュアンスを持っていそうですね。
赤龍さんの言われる様に、「董承という武官が同時期に二人存在した」、とか、「参照している資料に間違った記述がある」という可能性は高かそうですね。
(PC)