1 漢魏の風骨
名戦
数多くある戦の数ですが皆様にとって印象の濃い名戦をあげてほしいです。理由はなんでもかまいません。私は漢中での戦いです。初めて二大巨頭が大軍勢をもって行った戦ですので。簡単ですいませんが。
(P505iS)
19 朱家
規模が小さいですが、牛渚と西塞山の戦いをあげますね。孫策の長所、短所、すべてが集約されてると思いますね。
摩擦が生じそうですが、カク昭は孔明のおかげのように思います。確かに少ない兵で退けたのは評価しますが、補給の困難を知っていながら、二十日程度の兵糧しか持っていかなかったとされてます。軽視していたというよりは、戦うと思ってなかったのでしょう。カク昭より孔明のふがいなさが目立った戦いのように思います。
摩擦が生じそうですが、カク昭は孔明のおかげのように思います。確かに少ない兵で退けたのは評価しますが、補給の困難を知っていながら、二十日程度の兵糧しか持っていかなかったとされてます。軽視していたというよりは、戦うと思ってなかったのでしょう。カク昭より孔明のふがいなさが目立った戦いのように思います。
(A1304T/au)
20 ストラップ
>>19
街亭の敗戦のその年に攻め込んでいますから、余程のチャンスだった訳で、実際三国志での魏のピンチを描いています。
孫子作戦篇に、「智将は務めて敵に食む。敵の一鐘を食むは吾が二十鐘に当る」と有ります。この場合急襲こそが大事だった訳ですし、糧食の少ないは仕方ないのでは?
事実カク昭が大軍の包囲に攻め破られていたら、後の歴史が大きく動いていたかも知れませんよ。
街亭の敗戦のその年に攻め込んでいますから、余程のチャンスだった訳で、実際三国志での魏のピンチを描いています。
孫子作戦篇に、「智将は務めて敵に食む。敵の一鐘を食むは吾が二十鐘に当る」と有ります。この場合急襲こそが大事だった訳ですし、糧食の少ないは仕方ないのでは?
事実カク昭が大軍の包囲に攻め破られていたら、後の歴史が大きく動いていたかも知れませんよ。
(PC)
21 ストラップ
>>19
街亭の敗戦のその年に攻め込んでいますから、余程のチャンスだった訳で、実際三国志での魏のピンチを描いています。
孫子作戦篇に、「智将は務めて敵に食む。敵の一鐘を食むは吾が二十鐘に当る」と有ります。この場合急襲こそが大事だった訳ですし、糧食の少ないは仕方ないのでは?
事実カク昭が大軍の包囲に攻め破られていたら、後の歴史が大きく動いていたかも知れませんよ。
街亭の敗戦のその年に攻め込んでいますから、余程のチャンスだった訳で、実際三国志での魏のピンチを描いています。
孫子作戦篇に、「智将は務めて敵に食む。敵の一鐘を食むは吾が二十鐘に当る」と有ります。この場合急襲こそが大事だった訳ですし、糧食の少ないは仕方ないのでは?
事実カク昭が大軍の包囲に攻め破られていたら、後の歴史が大きく動いていたかも知れませんよ。
(PC)
22 ストラップ
戦国史討論場の為に、関ヶ原合戦の本戦を調べていました。東軍本陣のある桃配山を、西軍が三日月状に取り囲むという配置図が作られていますし、
治部三成-兵五千八百二十
の様に、兵数もわかっています(但し織田信高のみは全くの不明)。
三国志の合戦に、この様な詳細なデータの残るものはありますか?
治部三成-兵五千八百二十
の様に、兵数もわかっています(但し織田信高のみは全くの不明)。
三国志の合戦に、この様な詳細なデータの残るものはありますか?
(F2102V/FOMA)