1 BONNE

公孫淵はなぜ独立を図った?

これは孔明の北我があったとして。


公孫淵。魏から独立し、燕を建国したが、直後司バ仲達にあえなく撃破された悲惨な男である。ここでも不可解な点がある。公孫淵が呉の使者を
切った理由だ。呉と内応して
魏を挟み撃ちにする作戦に出ようかと思えば、呉の使者を
切り、その後魏から独立した
まて、魏から独立するのは結構結構。が、なぜ一人で独立する?呉と蜀と内応して独立し、司バ仲達が来る前に近拠点を次々と占領し、降伏兵を
含めればかなりの戦力になったはずだ。そして、内応していた蜀と呉とで魏を挟撃すれば勝ち目は十分にあった。
このころは曹真も死し、稀代の名将は司バ仲達くらいしかいない。当然魏は困惑する。
呉からは陸遜が(または陸抗)、蜀からは諸葛亮が(またはキュウイ)が、燕からは
10万以上(挙兵当初の兵力は10万)の兵が押し寄せてくるのである。司バ仲達は蜀を防ぐであろうが、呉も名将
陸家が来て、燕は10万以上の大軍。これは新しい燕、蜀
、呉の三国県立があったかもしれない。
(PC)
9 無問題
赤龍さん・ですよね?曹叡もまだまだ在命中で、しかも国力に差が有りすぎます。もし、巍に対抗するのであれば呉なり蜀なりと連携すべきなのでしょうが、距離が離れすぎています。そのうえ呉からの使者を斬ってしまってます。これでは単身で巍に歯向かう事になり結果はみえてしまってます。袁術にしろ公孫淵にしろ当時の情勢が見えなかったのかな〜…と思いますね…。そういえば、士燮の跡継ぎ士壱も似たような最後をむかえてますよね
(EZ)
10 巫俊(ふしゅん)
そういえば、陸遜の会話文の中には、公孫淵についても蛮夷に属する存在として表現することがありましたね。
会話文というより上奏文か。
別に真に受ける必要はないんですけどね。只たぶんちくま訳とかじゃそれっぽい別の語に置き換わってそうな気もしますし、私は感覚としては同じ中国系の勢力であるとか、李カクみたいな人物であっても、見る人が公孫淵なり李カクなりに「内なる蛮夷」を感じるんだろうと思っています。

世間では、「異民族」というと遠くにいる人たちという印象があるんだと思うんですが、「民族」というのは自分の内側にあるんだ、すぐ横に潜んでいるんだというのが私の感じた想いというか動機ですかね。
(PC)
11 赤龍
>>10
こちらの文章の流れは、

公孫淵が孫権の元に使者を送り、気をよくした孫権が公孫淵を燕王に封じ、財宝を送りました(ちなみに、ここで群臣からかなりの反対を受けてます。有名な張昭ひきこもり事件もこの時)
しかし、公孫淵は呉の使者を殺し贈り物だけ奪ったので、孫権は「この野郎、ぶっ殺す」と自ら征伐に行くと言い出しました。
そこで、陸遜が待ったをかけるわけですね。
つづく
(PC)
12 赤龍
さて、巫俊さんが言われるのは、そうした状況での上奏。
「蛮夷猾夏、未染王化、鳥竄荒裔、拒逆王師」ちくま訳だと「夷狄めが中華の地を乱し、王者の教化に感化されることもなく、辺境の地にひそみ隠れつつ、王者の軍隊に抵抗をして」なんて風に口を極めて罵るわけですね。
その一方で、孫権を「神武之姿」なんて、ひたすらよいしょ。
「あんな奴、ど田舎の世間知らずのカスみたいなもんですわ。そんな小物相手に、陛下ほどの偉大な方が、一々腹を立てるのも馬鹿らしいというもんですぜ」てなノリで、おだてて、なだめて(笑)

というわけで、孫権をなだめるために、陸遜は徹底的に公孫淵を罵る必要があった。なので、蛮夷扱いされちゃうわけですね。
(PC)