1 鈴木♂

'83年のクリスマス・イブ

・・・しかし、何でもネット検索で済ませがちな今だからこそ、こうした半径3m
以内のフィールドワークは妙な説得力を持つわけで。本書では、これらのデータ
を基礎資料として、いつから「若者であることが損な時代」になったのかを検証
している。で、いつからなのか。若者に売れば儲かると社会が気づいたのは。

どうも、1983年かららしい。この年の12月、雑誌「an・an」が「クリスマスは
シティホテルに泊まって、朝、ルームサービスで彼と食事をとろう」という特集
を組んだ。今となっては想像しにくいが、それ以前はクリスマスに関する記事は
ほとんどなかったという(へえ〜)。やがて、クリスマスは「恋人たちの日」
として定着していく。裏を返せば、この頃から、「クリスマスを若者に売れば
もうかる」と大人が気づき始めたのだ。

また、83年は東京ディズニーランドが開園した年でもある。熱烈なディズニー
リゾートマニアでもある堀井氏は、開園当時とその数年後では混雑具合が天と地
ほども違うということを身をもって体験した。たった4年でディズニーランドは
「国境に設けられた難民キャンプのような混雑」ぶり。そして、彼の調査によれ
ば、青年男子が楽しめそうなアトラクションの比率は年々下がってきている。

要するに、「80年代を通して女の子はお姫さまになって」いったのだ。
お姫さまはお金がかかる。もちろん、男だけが不幸になりましたというわけでは
ない。強くなった社会や経済のシステムに若者が徐々に取り込まれていっている
、そういう話です。“いや、おれは自由に生きている”といっても、それは
「錯覚」だ。「本当は若者という分野が作り出され、欲望を刺激し、商品を並べ
、金を巻き上げていくシステムが動き出しただけだったのだ」と堀井さんは言う。

面白いのは「セックス」から「エッチ」への変換が始まったのも80年代、という
指摘。これは若い男子に「女性に嫌われないための表現をしよう」という新しい
思想が生まれたため。60年代まで「エッチ」は女学生が「変態(Hentai)」の
意味で使っていた言葉だった。

                      日経ビジネス電子版記事より
(PC)
2 鈴木♂
上記は最近出版された、堀井憲一郎著「若者殺しの時代」(講談社)という
時代論の書籍を論評した日経ビジネスの記事なのですが、鈴木♂も確かに
そんな様な気がします。

1983年という年は鈴木♂が大学を卒業して就職した年でして、今から考えると
そこら辺が日本における'70年代と'80年代という時代の分かれ目だった様な気が
するのですが、'80年代って今から考えると、ごく一般的な日本人(庶民)が一番
裕福だった時代で、それは昭和20年の終戦から始まった復興と高度経済成長の
終点でもあった訳ですが、やがて'80年代末にバブル期を迎え、それが弾けて
'90年代以降の「失われた時代」となる訳です。

高橋留美子さんの「めぞん一刻」というマンガは'80年の1月頃から連載が始まった
訳ですが、確かに当時の日本の雰囲気を忠実に伝えていて、クリスマスのシーン
でも、皆で集まってパーティ(飲み会)をしたり、安価なプレゼントを交換し合う
といったシーンしか登場しません。
今だったらクリスマスという男女にとってのビッグなイベントですから、もっと
大騒ぎのネタが描かれる事になるんだろうなぁと思います。

しかしその「めぞん一刻」というマンガも全巻を通して読んでみると、ボロアパート
、未亡人、暗く貧乏な浪人生、お色気シーンといった当初あったはずの'70年代風
の雰囲気が徐々に薄れて行き、終わり頃には少女マンガの様な雰囲気さえ漂わせ
ていました。
これはたぶん連載途中から女性読者が多くなって行き、それをマンガに反映させた
結果なのではないかと思いますが、いずれにしろ今よりもずっと精神的な余裕
というか「ゆとり」が'80年代の日本人にはあったという事がマンガからも
読み取れるのではないかと鈴木♂は思います。

なお余談ですが、来年に放送される予定のTVドラマ版「めぞん一刻」では
「未亡人」という言葉がたぶん一切使われないと思います。
これは何故かというと、数年前にさる市民団体が「『未亡人』という言葉は
女性に対して不適切である」とTV局に文句を付けた結果でして、それ以降
「未亡人」という言葉は放送自粛用語としてTVやラジオから抹殺されたそうです。
(PC)