1 大伴

後漢から魏晋に至る時代の兵器

この時代、長兵ではすでに矛や戈といった物は無くなり、戟や槍の時代となっています。又、通俗演義で関羽の使う偃月刀の原形はすでに存在した様ですが、どうやら一般的では無かった様です。
短兵器も、剣は儀礼用となり、刀が主となりました。
射兵では、元戎(連弩の一種)という兵器が開発されています。
個人運用以外に目を向けても、官渡の戦いで曹操軍が使用した発石車があります。

ここでは、そんな武器について語る事にしましょう。
(F2102V/FOMA)
97 しす
まぁ三国時代の中国の弓と、後世の日本の弓を比較するのは少々酷かな。
一番解りやすい違いは郭嘉さんの仰る通り、長弓、短弓の違いというのはありますね。
持ち手も既出の通り中央です。
上部が長く、下部が長いのは日本独特のスタイルですから。
まぁ、日本でも奈良時代までは長弓と並行して短弓も使われていたようですが。
それと気をつけなければいけないのが、弓は湿度に非常に影響を受けやすい武具ですので、素材にも土地によって大きく差が出て来ますね。
例えば中国南方では竹なんかが使われていましたが、竹の取れない北方では木、あるいは牛の角、騎馬民族なんかは羊の角なんかも利用していたようです。
弦の素材も場所によってまちまちだったようですが、これはまだよく調べてないので、また次の機会に。
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98 ストラップ
>>96弓の持ち手と、利き目は大きな関係を持ちます。照準精度に大きな影響が出ることは少し考えればわかりますね。弓を引分けた時、試しに右目を瞑ってみると良くわかると思います。野球のスイッチヒッターも実際はそうなのですが、左右で同じ様に見るという事は、先ず不可能です。利き目が右ならば、弓手に弓を持つほうが、照準精度が高く、結果として命中精度に影響を与えます。


矢も、細い竹の取れる地方では矢柄に竹を用いますが、木であったり、太い竹を割いて用いたりしたようです。粛慎の矢という、石の鏃をもつ箭の話もありますね。

弓も、角やポプラの木など、様々な種類があります。又、複合弓も早くから発達していた様ですよ。
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99 ヤスシ
弩は春秋時代に発達し、三国時代では主要武器でしたが、唐になるとまた弓が主要武器になるようですね。
この頃また戦術が変わったのかな?(弩=歩兵→弓=騎兵)

>>76
木牛、流馬ですが、唐杜祐と言う人が書いた『通典』では木牛は二輪車、流馬は一輪車とされているようですよ。
(PC)
100 しす
さて、このスレも殿堂入りですね。
以下のスレに移行しますのでヨロシク
>>>268
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